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背景の記憶(319)

     アナウンサー

 今思えばの話。小学生の時、僕の未来は見えていた。僕の通っていた小学校が

当時、視聴覚教育のモデル校となり、真新しい放送設備が完備された。そして

放送部なるものが出来て、僕は技術部門ではなく、アナウンサーに選抜された。

皆が給食を食べている時、「みなさん、こんにちは!今日は○○の話題をお届け

します。」とやっていた。

 担任の先生の推薦であったそうだが、同学年の生徒が500人以上もいる

団塊世代、その中での選抜は今でも不思議に思っている。これまた学校の推薦

もあって、NHK松江放送局で色々と放送のイロハを教えてもらった。あれは

夏休みであったろうか、放送教育の全国大会なる催しがあって、全国から沢山

の先生方が来られた。僕は女の同級生と一緒にバスに乗り込み、出雲地方の

名所の案内役を任された。バスガイドさんが優しい眼差しをくれたことを、

今でも懐かしく思い出す。この経験を踏まえると、僕の将来はアナウンサー

だったのかもしれない。

 中学に入って最初の国語の授業の時、先生からいきなり「ワタナベ、1ページ

目、読んでみろ!」と言われて、草野心平の詩を大きな声で読んだ。「瑞々しい

けやきの若葉を透いた光が・・・」先生は瞑目して聞いていた。しばらくして

「うん!<間>がいいな・・・その<間>がいい」と独り言のように呟いた。

僕はアナウンスの経験が生きているなと思った。誇らしくもあった。ニュース

を読む時と同様、目は二、三行先を読んでいるのだ。

 もし、此処を人生の出発点と位置付けるほどの立志があったなら、僕は間違いな

くNHKかどこかのアナウンサーに成っていたであろう。

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それでもいつか

歌と同じシチュエーションが現実の僕にも現出するわけで・・・。

作詞者も同じ経験の持ち主なのかと、感慨に浸る僕がいる。

どこまでが許されて、どこからが危険で罪なのか・・・。

薄々解かっているから、きちんとブレーキは踏むし、バックもする。

数十年も前のことが、昨日のことのように思い出される。

それでもいつか・・・・・・・・・・・・・・・


♪何気ない毎日が 風のように過ぎてゆく
 この街で君と出会い この街で君と過ごす
 この街で君と別れたことも
 僕はきっと忘れるだろう

 それでもいつかどこかの街で会ったなら
 肩を叩いて微笑んでおくれ

 さりげないやさしさが 僕の胸をしめつけた
 この街で僕を愛し この街で僕を憎み
 この街で夢を壊したことも
 君はきっと忘れるだろう

 それでもいつかどこかの街で会ったなら  
 肩を叩いて微笑みあおう

 それでもいつかどこかの街で会ったなら
 肩を叩いて微笑み合おう

    いつか街で会ったなら   中村雅俊

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