彼方からも此方からも
当然の権利とばかりに
督促のメールや電話が入る
僕は、八方塞がりを怖れない
むしろ、どんとこい!と居直っているところがある
やはり、何糞!何糞!の自分が居る
嫌な時代だな...
ほんの一握りの階層の人たちが、社会の代表者のようにもてはやされ
ズームアップの対象となる
ひねくれる訳ではないが、このやろう!の思いが
具体的対象のない空間に跳び跳ねる
這いつくばって、這いつくばって
歯を食いしばって、食いしばって
僕は夜を迎え、唯一安楽の空間に身を任す
夢で逢えるのは誰か
貴方であれ!貴女であれ!
エネルギーを注入してください
あなたは 大きい
あなたは 広い
あなたは 力強い
あなたは 慈悲深い
そして何よりも
あなたは 人間的である
あなたは 人間の体をもって
この世に降臨したもうたか
山奥深く 閉じこもるでない
仙人が如くに 生きるでない
市井の只中に 身を投じよ
人混みに 揉まれて生きよ
そして
一人のための 光と成れ
君が居た
貴女が居た
あまりにも具体的な登場人物だった
そして、僕だけが
超現実的に脇役を演じていた
目覚めるわずか一時間前の夢空間
たとえ相対的に貧しかろうとも
心まで貧しくなってしまいたくない
むしろ・・・
心は、どこまでも裕で美しくありたい
・・・と思うのであります
「修行とは 苦労を楽しむことなり」 (日扇聖人)
二十歳前後の五年間が、今の僕を形成した。
結婚を約束した彼女に言われた「どうして、そんなに苦しい方へ苦しい方へ
行くの?」それは自分でも説明のしようがなかった。二者択一を迫られた時、
他人から見て、負の方へ負の方へと向かわせる自分がいたのだ。
自虐的でもなく、気まぐれでもなく、意固地でもなく、そうさせるもう一人の
自分がいたのだ。
当時は苦労を楽しむなんて心は全く持ち合わせてはいなかったが、どこかで
それに近い感覚はあったのかもしれない。暗闇の中での未知の世界への挑戦、
或いは興味心、或いは求道心、それらが僕を強引に引っ張って行った。
言葉だけ、思うだけの自分が堪らなく嫌だった。それにしてもそんな自分への
決定打は、やはり、ステッファニー先生だったのだ。彼女(先生)はあれから
どんな人生を歩んだのだろうか?天は、そんな存在の彼女に逢わせてはくれない
のだろうか?
あまりにも長い・・・半世紀を超えた
sea you again
「紙一重」「表裏一体」
そんな言葉を実感している。
物事には、完全な右か左、上か下、善か悪、もあれば
何方とも言えない微妙な事柄もたくさんある。
とかく人は、どちらかに決定づけたがるけれども
其処の部分は慎重に吟味、考察したいところだ。
勿論、神(天)の領域からすれば、その善悪は明白であろう。
その領域にまで踏み込もうとは思わない。
逃げ口上ではないが「真実は神のみぞ知る」ということなのだろう。
ニュースの中の事柄にしろ、身の回りの出来事にしろ、
「まったく・・・」の話しが多すぎる。
基本、見過ごしてしまう、タッチしたくない自分が嫌になる事がある。
そんな自分の心を見つめすぎて、
自分の裏扉を開けてしまいそうな自分に恐怖を覚える。
愛する人を傷つけられて、正気でいることは極めて困難です。
人間は仏にも菩薩にもなれば、修羅にも鬼にもなる。
(長松清潤師)
謙虚そうに見えて、控えめそうに見えて、
その実は、わがままの塊りみたいな奴は嫌いだね。
自分の非や至らなさの追及をされるのが嫌で
初めっから予防線を張るような奴はご免だね。
至らぬながらも100パーセントの自分を発揮しろよ!と言いたい。
そうすれば、120パーセントの結果が待っているってこともあるんだよ。
まさしく、経験者語る・・・だね。
これは、あくまでも僕が関係するスポーツの世界のことだけど、
人生全般に言えることだと確信している。
やる前から、予防線を張るような奴は、大嫌い!だね。
「斜に構える」とまでは行かなくても
ちょっとひねくれてみたくなるってことあるよね
まともに受けてたら照れくさいというか、かっこ悪いみたいな・・・
だからと言って、何でもかんでも
「だけどさ・・・」とか「でもね・・・」の連発には閉口するね
「うん、たしかにそりゃそうだ!」
「あんたの言う通り!」も
たまにはないと、ただの偏屈男だよね