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背景の記憶(312)

 山陰の松江から京都に脱出?してきたのが二十歳の時だった。もちろん組織の追

っ手はいたのだが、僕如き下っ端人間は、それほどの執拗な追跡は無かった。叔母

の家での生活が落ち着いた頃、僕はあるコンサートに出かけた。西岡たかしと五つ

の赤い風船。

リーダーの軽妙な喋りも楽しかったが、僕は紅一点の<藤原秀子>の歌声に魅了さ

れた。なんとも奥深いと言うか、哀愁が漂う歌声と言うか・・・。感動した。

 ♪遠い世界に旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を歩いてみようか
  太陽の光で虹を作った
  お空の風をもらって帰って
  暗い霧を吹き飛ばしたい

僕より二つ年上の彼女も10年前に亡くなっている。

あれからもう半世紀以上、時が経過している。不思議なもので、つい口ずさむ

歌がこれだったりする。

様々な自己紹介欄に書いている通り、

「人生はいつも青春 いつも心のさすらい」

傍から老人視される男の心の片隅で、青春の名残の灯が

チロチロと燃えている。


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あの頃の日記帳になんとも稚拙な詩がある。
♪あの雲の向こう
 あるという泉
 忘れ得ぬひとに
 巡り合いたい
 どうぞ忘れないでと
 あなたは言った
 忘れるもんか
 君だけなのに
 あああ、僕だけの君なのに

 ※この詩には稚拙な曲が付いている。
  後に彼女に聞かせたら「西郷輝彦の唄に似てる」と言われた。
  たしかに・・・。これまた模作だけのことはある。

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背景の記憶(311)

  英会話教室の周辺がざわついていた。あのフォーククルセダーズの「北山修」が来ているということだった。僕たちの教室は七人授業だったが、彼は個人授業のようだった。後から思えば、府立医大は教室に近かったからだろう。ステッファニー先生の旦那はロックバンドで、しかもアンダーグラウンド的だったから、先生もさほど興味はないという雰囲気だった。
 その北山氏が、後々スターダムにのしあがる存在になるとは、当時の誰が想像し得ただろう。やはり北山修と言えば、あの作詞能力だな。僕が一番好きなのは、「白い色は恋人の色」…

♪夕やけの赤い色は想い出の色
 涙でゆれていた想い出の色
 ふるさとのあの人の
 あの人のうるんでいた瞳にうつる
 夕やけの赤い色は 想い出の色
 想い出の色 想い出の色

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背景の記憶(310)

 二十歳の夏の日曜日、僕は彼女から映画に誘われた。

その映画は、ダスティン ホフマン主演の「卒業」だった。

映画館へ行くのは超久しぶりで、子供みたいにわくわくしたのを覚えている。

題名は聞かされていたわけではなくて、映画館に入るときにポスターで知った。

 内容は、二人にとっても刺激的なものだったが、僕はS&Gの音楽に魅了され

た。(サウンド オブ サイレンス)(スカロボローフェア)(ミセス ロビンソ

ン)後々まで、これらの曲を聴けば、映画のシーンが蘇るというわけだ。

 見終わって、夕暮れ時の湖畔沿いの道を、二人手を繋いでゆっくりと歩いた。

交わす言葉は何もない。指に伝わる感触で、映画の一コマ一コマを思い出している

のが分かった。そしてそれに伴う心の語り掛けさえも・・・。

 「結婚」・・・五つ年上の彼女には重いテーマが現実問題としてのしかかって

いたのだ。映画のストーリーほどドラマチックなものでなくても、超鈍感男の僕に

にでも、それぐらいの心の揺れは感じ取ることができた。

 僕たち二人は同じ教会の専従職員だった。僕は布教師の卵、彼女は事務職員だっ

た。もちろん先輩の男性もたくさん居たし、彼等からすれば、僕はまだコドモ中の

コドモ。彼等こそが彼女へのアプローチをかけていたというわけだが、なぜか彼女

は拒否反応、対象者は僕というわけだ。

 秋を迎えて、久しぶりに教会で会った父が言った。「いい人じゃないか、結婚し

ろ!」「えっ!」どこでどういう接点が生まれていたのか?またしてもこの鈍感男

には理解不能だった。三歳で母親と死別し、兄姉が六人も居ながら、三人が幼くし

て他界。残った兄姉は歳が離れていたし、ひとつ屋根の下で暮らした経験はほとん

どなく、ぽつんと一人っ子みたいに育った母性愛、兄弟愛欠乏症の僕には、彼女の

ようなグイグイと引っ張ってくれるひとが最適と、父は考えていたようだ。どうや

ら彼女は、僕より先に父に僕との結婚を申し込んだようだ。

 徒手空拳、何の地位も金もない僕に、何ができると言うのだ?人生の荒波の序曲

はここから始まったと言っても過言ではない。

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背景の記憶(309)

 18歳の時、僕は市の公会堂で、聴衆2000人の中、生バンドをバックに歌った。

曲は坂本九の「明日があるさ」場内は照明がゆるかったので、さほど緊張はしなか

った。のど自慢大会なら<鐘二つ>と言った出来だっただろうか。本当は生来の恥

ずかしがり屋で、赤面症という臆病者だったが、放送部でのアナウンスや合唱団で

の経験が、徐々に僕の心臓を大きくしてくれていた。

 自分から進んでやったわけでもないから、これはひとえに、そういう場を経験さ

せて下さった担任の田辺先生や福原先生のおかげだ。そしてもう一人、成人後の僕

を大改造してくれたステッファニー先生。

恩師は時代時代に顕れる。


♪いつもの駅でいつも逢う

   セーラー服のお下げ髪

     もう来る頃もう来る頃
 
       今日も待ちぼうけ

         明日がある明日がある

           明日があるさ

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背景の記憶(308)

 退職願を出して三カ月間の軟禁?状態に置かれていた僕に、更なる追い打ちが襲い掛かってきた。三階の事務所にいる僕に一階の事務員から内線電話がかかった。「渡部さん、来客です」???不審に思いながら降りて行くと、見るからにそれらしき人物が椅子に腰かけて脚を組んでいた。

 「こういうもんやけど・・・」と言いながら名刺を差し出してきた。金文字の名刺だった。「もうわかってるやろ・・・そこの喫茶店で待ってるわ」と言い残して出て行った。事務員さんが「大丈夫?」と言って心配顔を向けてきた。

 三日前に自宅にかかってきた電話で心の準備は出来ていた。僕のこの会社への紹介者であり、住宅購入時の恩人である人の会社が倒産の危機に瀕していたのだ。最後のあがきで借金をするときの連帯保証人の三番目に僕の名前と実印が押されていたのだ。恩人は裏切れない・・・。上位二者はすでに行方をくらましていた。そのうちの一人から電話が入っていたのだ。「自分らだけ逃れやがって!」と思ったが、足掻いても仕方がない。

 指定された喫茶店へ行くと、借用証書をテーブルに差し出して、額の所をトントンと指で突いた。僕は間髪を入れず「明日、此処へ来てください。用意しておきます」と言った。相手は拍子抜けしたようにへっ!という顔をした。そして「そ、そうか、ほな明日な」と言って出て行った。

 僕は社に帰り、社長に言った。「社長、退職金を明日いただけませんか」社長は「そ、そうか・・・ほな明日用意しとくわ」と罰悪そうにつぶやいた。何のことは無い僕をこの会社に斡旋したその人は、社長の愛人だったのだ。最後のあがきの金づくりのためのサラ金周りの当事者が僕だったことも知っているはずで、ノーとは言えないことは分かっていた。

 翌日、喫茶店で帯封の札束の入った封筒を差し出すと、相手はその数を確認して、「おまえ、良い奴っちゃな」と言って札を一枚抜いて僕に差し出した。「ほな!」と言って店を出て行った。瞬時に「借用書を返せ!」と思ったが、もう来ないだろうと言う確信めいたものがあったので、後を追うことはしなかった。

 社に戻ると、事務員さんが心配そうな顔をしていた。僕は無言で片手を挙げて「大丈夫!」という合図をした。表向きはそうだったが、内心はやや暗雲が立ち込めていた。ギリギリの状態の時、僕は恩人社長とサラ金巡りをして金策をしていたのだ。しかも僕名義で。休む間もなく、三社のサラ金会社を廻った。日がずれればずれるだけ利息がかさむ。こんな経験は二度としたくないと心に誓った。

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千代の松ヶ枝

 叔父の誘いに乗って、僕は遥か隠岐の島まで来ていた。港湾建設会社を退職して、独立した叔父の手伝いをたのまれたのである。事務員兼、現場監督兼、ダンプ運転手兼、小型船舶操縦兼、潜水夫の命綱兼、・・・何でもやらされた。

 作業員のほとんどが鹿児島からの季節労務者だった。一日の終わりには飯場で彼らと一緒に飲み食いした。子供のような存在の僕は、みんなに「あきちゃん」と言って可愛がられた。酒には強かったが、彼らの飲む度の強い焼酎には参った。飯場を抜けだして波止場に寝っ転がり、星空を見るのが習慣だった。

 そんなある夜、永田さんが僕に話しかけてきた。他の人たちとはちょっと違う文士のたたずまいの人だった。たぶん他の仲間とは異質な存在だったのだろう。訊けば、故郷では村史の編纂に携わるような立場と聞かされた。

 この出会いから数十年、僕たちは文通をした。筆まめな人だった。日本の何処の地へ派遣されても、手紙をくださった。僕には及びもつかない文人だった。父とイメージが重なった。


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背景の記憶(306)

 アルバイトである配達の仕事を終えて、僕は車を車庫入れした。その車庫の横には、単独業務の作業場があって、丁度業務終了のチャイムが流れて、仕切りのドアが開かれた。そこの業務を一人でこなしていた女性が、後で束ねていた髪を解いた。ふわりと髪が流れるように肩に落ちた。まるで扇子を逆さにしたような美しい光景だった。

 僕の存在に気付いた彼女が振り向いた。思わず軽く会釈をした。仕事中の彼女とは打って変わってちょっと大人びた女性を感じた。「お疲れさま!」かけられた言葉に、僕は軽く会釈をした。

 バイトの身の僕は、社員さんたちとはそれほど深い関係性はなくて、軽く挨拶を交わす程度だったのだが、なぜかしら彼女には特殊な感情が湧き上がるのを覚えた。

 大失恋の後遺症?で、数年間、無意識のうちに異性との距離を置いていた僕だったが、何故かこの時は、その壁が取り払われたように感じた。・・・とは言え、世間的にはまったくのプー太郎、こちらからどうこう言う資格などないと、内心諦めが僕の心を支配し続けていた。

 あの雨の日の傘の事件?以来、何となくその距離は縮められて行って、僕たちは帰り道の半時間、喫茶店で話せる関係に成長?して行った。

 あの頃、何を話したのか思い出せないが、彼女の前では自分を曝け出せる悦びを見出す僕が居た。ただ一緒に居るだけでイイ!そんな感情は何年ぶりだっただろうか?

 進学校の同級生たちのほとんどが、それぞれの大学で勉学に勤しんでいるこの時期、自ら選んだ道とは言え、あまりにも波乱万丈なこの数年間に、僕の心はズタズタだった。もちろん、芯の部分の「自分」は辛うじて保ってはいたが、客観的に見れば、落ちこぼれのプー太郎そのものであったろう。

 真っ暗闇とまでは言わないまでも、世の中の陰の部分を彷徨っていた僕に、突然の如く差し込んできた太陽の光だった。

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坂道

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背景の記憶(305)

 アルバイトを終えてバス停までの帰り道、雨が降り始めていたが、それでも僕は殊更ゆっくりと歩いていた。そう殊更に。本通りとは違う細い道なので、通る人もまばらだ。バス停まであと数百メートルとなった時、後からコツコツコツと靴音が聞こえてきた。この靴音に僕は確信した。それはバイト先で気になっていたYさんなのだ。これまで何度か後ろから見かけたことがあった。僕はバスだけど、彼女は電車であることも知っていた。

 ふり向きたい気持ちを抑えて歩いていると、不意に赤い傘が頭の上にかけられた。無言だったけど、まるで「濡れますよ」とでも言うように。横顔を見ると目が優しく笑っていた。「ありがとう」の気持で、僕はコクリと頭を下げた。背丈が違い過ぎるので、僕は傘を受け取って彼女に半分以上被るようにして歩いた。

 言葉を発しようと思ったけど、それを遮るかのように駅に着いてしまった。バス停の屋根の下で、僕は傘をたたみ返そうとすると、彼女は初めて言葉を発した。「私、折り畳み傘があるから、それ使ってください。バス降りても歩くんでしょ?」有難い言葉だった。「じゃ、遠慮なく・・・」と言って、二人は別れた。

 バスに乗って、場違いに思える赤い傘を手に持って、窓に映る僕の顔は少々にやけているように見えた。前の席に座っている女性が、傘と僕の顔を見て、ちょっと笑ったような気がした。でも、僕にはそれさえも嬉しく受け止めることができた。バスを降りたら、ルンルンルンなんてスキップでもしそうな気分だった。



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大輪

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返詩をくれる貴女に、僕は逢ったこともないし、顔も知らない。

でもその内容に共鳴を感じて、うっすらとイメージは出来上がっていった。

こんなやりとりは、どれだけ続いたのだろう?

想い出せない。

そして、僕には恒例となった・・・突然の別れが待っていた。

おそらく貴女は、現実界で真の恋人に巡り合ったにちがいない。

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