僕は暗いバス停で待っていた。 家に灯りはなく、その暗さが淋しさを増幅させた。 一台、また一台とバスは停まるが、父は降りてはこなかった。 新しい母には馴染めなかった。 僕が拒絶したわけではなくて、あの人が近寄らなかったのだ。 「あの人」と呼ぶ・・・そこに僕の心が表出されていた。 溜まりに溜まった亡母への思慕。 まだ小学校入学前の僕に、否応なしの自立が求められた。 僕は、とぼとぼと歩き、灯の無いわが家の戸を静かに開けた。 暗闇の中で膝を抱えて、顔を埋めて眠った・・・。 夢の中で、母に逢うために・・・。
待っているだけでいいのかい? じゃあ、追いかけるのがいいのかい? 思考は薄っぺらの脳内を駆け巡る 自分A対自分Bでじゃんけんをした 何回勝負しても決着はつかない AもBも自分だが いかにも自分が強すぎる ここで登場! 超客観視する自分様 答えは明快そうで複雑 是々非々、時と場合、押してもダメなら引いてみな、捨てる美学 天を仰ぐ そして目を瞑る 暗闇の中に光明を見る そう、それが答え
人間は肉体があるゆえ経済関係をまぬがれぬのである。どんな宗教家でも、肉体を もつ限り、経済関係から離れられない。いかに高僧聖僧といえども、人から捧げられ たものを食わせてもらうのだから人一倍感謝の念が深くなくてはならぬ。もしこの点 を忘れたら、一瞬にして堕地獄である。 森 信三
童話や寓話の中に、人生の教訓を見出す。 己は対象外人物だと奢る事なかれ。 「アリとキリギリス」「うさぎと亀」etc. 兎角、ショートカットや一攫千金的な方へ走りがちだけれど、まずは地道に 一歩一歩を踏みしめて・・・登山の登り始めのように・・・。
『 行けるだけ 行けとて進む 信行に 行かれぬように ならぬご利益 』 日扇聖人 難題や障壁が目の前に立ち塞がると、どうしてもネガティブになりがちだけれど ここはとにかくポジティブに「一行」を貫いて、明るく勇ましく突き進まねばなり ません。
さよならも言わないで 去ってしまった あなた さよならは 永遠の別れとでも言うように 言葉も文字も残さなかった あなた かすかな希望の欠片さえも残さずに まるでそうすることが 別れの美学とでも言うように あの頃のかすかな余韻の場面の中に 希む光を見つけようとしたけれど 僕を拒絶するように 扉は閉じられていった 鍵止めのない扉が 非情の風に ゆらゆらと悲しい鳴き声をきしませていた
『 ああ老いん 誰を恨みんようもなし わが怠りの 恨めしきかな 』 日扇聖人 まさしく実感である。自分の中では、そこそこやってきたつもりが、今、振り返ってみれば、もっと頑張ればよかった・・・もっとできただろう・・・が多すぎる。 しかし、後悔さきにたたず。 拓郎の唄ではないけれど、「♪超えて行けそこを 越えて行けそれを・・・これからでも遅くない・・・今はまだ人生を語らず」 単なる年寄りの強がりに聞こえるだろうか。いや、自らに言い聞かせて来たじゃないか・・・ <いつも青春 いつも青春 いつも心の流離い>
「人間は食べ物によって肉体的に生き、 読書によって精神的に生きているのである。」 「読書論ノート」 端山 護
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