僕は敢てNOと言ったんだ 拒絶ではなく、遠慮の意味で・・・ でもなぜか、それは受け入れられず むしろ、より求められる結果となって・・・ 僕は腕組みをしている。
時に、否、大方の場合 正論正者は排斥される。 相手にしてみれば、的を射すぎていて 致命傷を受ける前に、予防策として 耳が痛い程度に止めておきたいからなのだろう。
「あなたは何時も、何処か遠くを見ている」 とよく言われた。 無意識の夢旅行。 しかしそれは相手にしてみれば 自分を置き去りにされているわけで・・・ 理解不能の男と見られていたのだろう。
『 おのが身に 備はる報ひあるならば 招かずとても 来るものは来ん 』 日扇聖人 たとえ真似事でも、それらしきことをしてきただろうか? らしきこととは・・・ 我欲ではなく、人様のため なんと煩悩の塊りであることか
西部邁氏が死んだ。 右とか左とか、やれ転向者だとか・・・ そんな次元での話とは関係なく 僕は人間「西部邁」が好きだった。 あの語り口、すばらしい語彙力、そして一貫性 氏の口癖を真似して言ってみよう 「小さな声で言いますが、僕はあなたが好きでした」 富岡幸一郎氏の追悼文(読売新聞)
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『おのが心に嘘をつく 人は仏に嘘をつくなり』 日扇聖人 すべては御照覧 自分に都合の良い仏(天)を作ってはならない。
日記帳のように 備忘録のように 綴り続けて14年になる 時にはスリップしてみよう <旧なべちゃんエッセイ> ダークブルーの背景色が好きだった 若い!というほどでもないけれど 同じ自分なのに、パワーを感じる 知らず知らずのうちに 下り坂を歩いているのかもしれない
亡き父は、七十、八十を超えても、ワープロやパソコンを駆使して 自分のはもちろん、友人知人の詩集、句集、エッセイ集等を作成した。 何より驚くのは、独力で製本から装丁までやってしまったことだ。 これにはまったく敵わない!
宇野重吉と寺尾聡・・・風貌も演技も似てきましたね〜。 朴訥としたところに味があります。 母・・・女学生時代 父・・・隠岐島時代 僕・・・小学校五年生 人が言うには、 僕は、顔は母親似で、性格は父親似だそうです。
めでたい句を求められた一茶が詠んだ一句 「親が死に子が死にあとで孫が死に」 何がめでたい!・・・と怒りの声 しかし 「老少不定」の世の中、これほどめでたいことはない〜という話 わが身で言えば・・・
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