文章は平易さと明晰さ、論理の明快さ。そして情感がこもらなくてはなりません。絵画でも音楽でもそうですが、文章もひとつの快感の体系です。不快感をもたらすような文章はよくありません。
司馬遼太郎
身近な人の痴呆の現実を見ていると、ニュースで取り上げられる施設での虐待に対する認識が変わる。なかなかに、全てを赦し見守るというのは難しい。大声で叱る、怒鳴る、そして手が出る。これが現実だ。何事も当事者になってみないとわからないことは多いだろう。僕はいまのところ第三者に近い立場だから、こうして客観視をしているけれども、実の子や嫁の立場の現実は深刻そのものだ。加えて夫婦共々となれば、その負担と心労は倍加する。
その人が何を言っているかより、何をやっているかが問題。
その差がヒドければヒドイほど問題で、もしその上有名だったら一種の
悪党性がつけ加わるといってよい。
自分の会社は公取委から散々注意されながら括として省みず、
道徳を看板にした通俗雑誌などで世人を瞞着しようとする如きは、
まさに「天下の悪党」ですよ。
森 信三
私は日ごろは大阪弁を使います。
大阪弁は大好きです。
しかし大阪弁で物事は考えにくい。
司馬遼太郎
至極真面目な会合で、僕の師匠が講演に行った。僕はその運転手で同行したのだが
講演後、ちょっとお酒の入った座談会があって・・・
その帰路の車の中で、師匠がしみじみと言った。
「大阪人は、真面目な話を、洒落と冗談で低俗なものにしてしまうなぁ・・・」
○凡人には天才を殺す武器がある。
それは「多数決」
多数決こそ天才を殺す武器になる。
○天才の軸は「創造性」
秀才の軸は「再現性」
凡才の軸は「共感性」
しかし、それぞれの才は誰にでも備わっている。
要は、その比率の問題である。
「天才を殺す凡人」 北野 唯我
どんな名言、卓説であっても
頭で理解しなければ
心に染めなければ
更に言えば
魂に刻み込まなければ
何の意味もない枯葉のようなものだ