友達に誘われたバイト先は、D百貨店だった。正確には、警備や清掃、店内の商品搬入等を扱う下請け会社で、大学生が多く、他には浪人生と僕のような流れ者は少数派だった。
多くの者は、店内の売り子との接点がある商品搬入を好んでいたが、僕は、訳ありで女性恐怖症(?)の時期であり、手動式のエレベーターの操作係りを希望した。
もちろんお客様用のエレベーターではなく、従業員や荷物の搬送用のものだった。
映画に出てくるような何ともクラシカルなヤツで、それなりに操作は面白かった。低速、中速、高速と3台あって、それぞれに役目が分かれていた。高速用は階を飛ばして上下し、主に地下と社員食堂に停止した。低速と中速は臨機応変でボタンで呼ばれた階に行き、言われた階へ移動した。
30分毎の交代制で、控室は最上階の屋根裏部屋だった。機械室の隅っこにおかれた長椅子で本を読んだり仮眠をとったりした。機械油の臭いとガタンガタンとかウイ〜ンといった音の中で、僕は夢の世界を浮遊していた。
百貨店と言うところは、社会の縮図のような所で、様々な人間模様を見せつけられた。化粧品売り場の女性たちの華々しさや、地下の食料品売り場の女性たちの清楚な姿など、各売り場のカラーの違いは際立っていた。
商品搬送の仲間たちの中には、明らかなワルがいて、目つきを見れば僕のような単純男にも判別できた。退出時の身体検査で万引きがバレて掴まる場面も何回か目撃した。
立大や同大のスクールカラーはファッションからして明白だったし、僕らのようなアンダーグランド的な男は、殊更にその違いが容姿に現れていた。長髪、ジーパン、バスケットシューズ、ショートホープetc。
ある時、低速の台の時、地下の食料品売り場の女の子が一人で乗ってきた。そして手渡されたメモに僕はビックリした。
僕は、作中の維朔こと作者と京都で遭遇していたのかも知れない。
まさに同時代を生きていた。
教師だった父からの個人的教育(英語の原書を読め)(多読、速読)、
白紙答案の受験、ロックバンド・村八分、大丸(週給,万引き)や染め工場での
バイト、西陣界隈の諸々(パチンコ,ストリップ,五番町・・・)
橋の下こそなかったが、寝袋一つの放浪
喫茶店やジャズスポット
ギター、ピアノ、音響・・・
そして何よりも、行くところ行くところでの、女性との関わり
彼ほどのどぎつさ、えげつなさはないにしろ
心的にはかなりの部分で共通項を見出す。
分かっていながら、突き進まねばならなかった青い性
意外なくらいに踏みとどまる内的抑制
そして何よりも・・・
テクニックと化した人的操縦術への嫌悪
それが僕の「卒業」だったのかもしれない。
「百万遍 古都恋情」 花村萬月
「誤解を受けるのを恐れずにいうと、私は、ある意味で、戦争が好きだ。いや、やはり誤解を避けるために慎重を期すと、戦争について感じたり考えたりするのが好きなのである。
戦争は、生命という「生の基本的手段」を危殆に陥らせる。だがそのことによってかえって、「生の基本的目的」が那辺にあるか、あるべきなのかが切実な問いとして浮かび上がってくるのである。
死を間近にしてはじめて生が輝く、という逆説から人間はついに自由になることはできないのではないか。戦争についての感受力と思考力と行動力を失った国民には、結局とところ、平和の有難味を知ることすら叶わぬのではないか。
戦争という非日常性の事態に対応できないような人間は、裏を返せば、闘いと戦の要素を含むのが日常生活であるという平凡な一事をわきまえておらず、それゆえその日常生活の中心には大きな空洞が穿たれているのではないか。
「戦争論」 西部 邁
京ことば?
「かまへん」
「やくたいもない」
「あかん」
「うつうつしい」
「おぞい」
「おとましい」
「気随い」
「しがんたれ」
「いけず」
「くすべる」
「しったらしい」
花村萬月「百万遍 古都恋情」
こまったもんや・・・