今はどもりと言えば差別用語に近いらしいが、小学校時代、同級生に吃音の子がいた。彼は姓がアイ〇なので名簿が一番、僕がワタナベなので名簿は最後。そんな関係性もあってかなくてか、彼はなぜか僕に近づいてきて友達になった。遠足やなんかの行事の時はいつも一緒だった。彼のお母さんは随分と吃音のことを気にしているみたいで、僕に過度のお礼を言われたが、僕はさほど意識せず自然に付き合っていた。六年生になった時、彼は親の都合で橋向の学校へ転校して行った。
吃音と言えば、僕の尊敬する故西部邁氏が、かなり強度の吃音だったと本で知った。高校時代まではその所為でほとんど人前では喋らなかったらしい。しかし東大に入って学園紛争の真っ只中、かなり多くの聴衆の中で、歴史的な大演説をぶったらしい。そしてそれっきり吃音から解放されたと聞いた。それから数十年後のテレビでのあの活舌を聴けば、氏が吃音だったとは想像もつかない。物事は何が転機になるかわからない。
吃音とは違うが、僕の赤面症もかなりのものだった。しかしそれも放送部のアナウンサーという経験が、その症状を和らげてくれたように思う。大人になって「物静かなナベちゃん」で通っているが、酔えば大演説家に変身するのを知ってくれている人は少ない。まあ、それだけ酔っぱらってしまうことは稀であるということの裏返しなのかもしれないが・・・。

嫉妬
遠隔地での交通事故で、昏睡状態だった僕に速達の手紙が届いた。
眼を覚ますと、ずっと付き添ってくれていたらしい貴女は、
「お手紙よ」と差し出した。
「開けてあげましょうね」
「あら、写真よ・・・キレイな人ね・・・」
「とっても心配してくれてるのね・・・」
しばらくの沈黙の後
「この幸せ者!」
貴女は僕のおでこを人差し指で突っついた

あの時の写真が一枚もない。
あの時のどころか・・・
あなたの写真が一枚もない。
ブロークンハートを象徴するように・・・
お産のため帰省していて
僕を看病してくれたあなたは
その後数年間、横須賀から
偽名で手紙をくれた
あの時の優しい看病の心のままで