日本は今、登り続けてきた山を下りる過程にあるのだと思います。登りっぱなし
などありません。頂上を極めたあとの下りるというのは、自然の理です。
登山を成長の時代とすれば、下山は成熟の時代。登っている時はただ頑張るだけ
ですが、下山する時は景色を眺めながら、なぜ自分は山に登ったのか、その結果何
を得たのか、と人間的な思考が浮かぶものです。下りるから、次の山に登ることが
できます。下山の時は、新しい登山の道半ばともいえるのです。
底があるからこそ、至上の幸福感がやってきます。窮すれば通ず。人間はその時
になれば何とかして切り抜けて歴史をつないできたのです。上ったり下ったりを繰
り返す。生きるとは、そうした波の中で過ごすものだと納得すれば、おのずと幸せ
を感じる時はやって来るのではないでしょうか。
五木寛之
平日の卓球大会
結構男性も多い
靴を履き替えながら知り合いと話す
「まだ働いてる。なべさんは?」
「週休5日」と答えて笑いを誘う
冗談ではなく、現実だ
優雅と言えば優雅
深刻と言えば深刻
何とも言えない空気が漂う
「忙中閑あり」
なかなか、そうは受け止め難い
それよりも、雑踏の中の孤独を感じる
それでも、思いがけないプレゼントもある
さしたる意図もなくした行動に
「ありがとうございました、ほんの気持ちです!」
と思いがけない一握りのお菓子
何よりも、その心が嬉しいではないですか
ちょったした気遣いや心配りが
相手に伝わることの歓び
意識的でない行為にご褒美がある
理想体重を検索すると
身長(m)の二乗×22とある。
因みに僕の場合、
1.72×1.72×22=65となる。
昔は、身長−110とか言ったな。これでいくと62となる。
現在の体重は69kg
あと約5kg減量か。
亡き父が行っていた健康法を思い出す。
十本の指で頭をポンポンと軽く叩く。
耳たぶを引っ張る。
鼻をつまんでパッと離す。
両頬を擦り擦りする。
あれは何健康法だったのだろう。
後に、台湾式○○法という小冊子が出てきた。
これを実践してたのかと納得した。
人間の体には、そこら中にツボがあり、そこを刺激すれば、それなりの効果がある
ということだ。
何でもかんでも医者に頼らず、予防も含めて、自分でかやってみよう。
堕獄に比重をおいて法を説くのか
浄土参拝に比重をおいて法を説くのか
これは意見の分かれるところである
どちらにも危険性は潜んでいる
僕のある種卑怯な結論付け
それは・・・
偏り過ぎれば、どちらもアウトです
いわゆるブログが流行り始めた頃、僕たちは<ともだち>となった。
場所は<ライブドア>で、その斬新さは当時群を抜いていた。
確か彼女のハンドルネームは<keyring>だったと記憶している。
釧路と書いたが、生まれ育ちがそうであり、当時は岩手県に住んでいた。
既婚者だったのだが、旦那が<無精子症>と言うことで、悩んでいた。
親からも「子供はまだ?」と責められ、かと言って旦那にきつく当たる訳にも
いかず、独りで悩んでいた。そんな心の拠り所がブログの世界だったのだろう。
そして僕のブログとの出会いがあり、急速にその中身は深まって行った。
彼女は洗練された感性の持ち主だった。
意外性を持ちながらも、その内容は至極的確だった。
当時の僕の仕事上の悩みなどを打ち明けると、何ともポジティブな言葉で
僕を励ましてくれた。「前が見えない?回れ右!してみれば。ほら違う世界が
見えるでしょう!」てな具合だ。
当の本人は結局離婚した。そして故郷ではなく札幌へ移住した。
新たな分野の勉強を始めたのだ。資産家である親の会社に戻る前に物心両面で
スキルアップを計るつもりのようだった。
そんな彼女がなんとも意外な行動にでたことがあった。
それは写メールが送られてきて、そこには夜の街のタワーが写っていた。
「何処のタワーでしょう?」
札幌?横浜?・・・せいぜい関東圏までしかのイメージしかなかった。
所がそれは実は京都タワーだったのだ。急ぎ連絡を試みたが、それは一日後れの
画像だった。更に驚かされたのは、彼女は僕の故郷・松江に移動し、更には生まれ
故郷・隠岐の島へと旅を進めていたのだ。
彼女が僕のブログの中身をすべて読み通して、確実なイメージを作り上げ、
その実証の旅を試みたようであった。これにはホントに驚かされた。
ある意味、人間としての節度を保ち、その微妙な距離感の中で、最大限に人間同士
の絆を結ぼうとした彼女に、僕は感服したのだった。