しんどい時に欲しいのは
「頑張れ」でもなく
「根性論」でもなく
「上から目線からの説教」でもなく
ただ静かに隣にいて
相槌を打ってくれることなんだって
そしてそれが出来る人が
どれほど貴重な尊い存在か
同じシーンの夢を見る
しかも明らかに続編だ、第二話、第三話みたいに
これには、次の世を見せられているとしか思えない
勿論のことだが・・・
登場人物は、まさにオールキャストだ
それぞれに接点のない者同士が同じ場所に登場する
それでこそ夢・・・なのだろうけど
僕の中のどこかで、それらすべてを肯定してしまう
そうか・・・「あの世で逢おう!」はあり得るんだな
不思議なくらい、ゆったりとしたリズムを感じる
やっと見つけた<この空間>みたいな・・・
ただ、気がかりもある
逢いたい人たちが、本当に遭いたい人たちがまだ登場していないんだ
最終回のおたのしみ!・・・か?
スピードや利便性が求められ過ぎて、
ゆったりとした時間が、まるで悪であるかのようだ。
幼少期を思い出す…
湧き水、囲炉裏、ランプ、五右衛門風呂…
それぞれに風情が感じられた。
特別に不便だとか、面倒くさいとか思わなかった。
逆に、空気は美味しかったし、太陽は暖かかった。
庭には、季節の花が咲き誇り、
裏山には、無花果や橙、野いちごやあけび、栗や椎の実
何でもありだった。畑では大方の野菜は採れたし
まさに自然の恵みを実感できた。
浜に行けば、サザエやアワビは普通の食材だったし、
魚は蛸糸や釘を曲げたような針で、そこらの貝を潰した餌で、
苦労なく釣れたし、子供たちは晩のおかず取りに一役かった。
今では、何もかもが営利と直結してしまっているが、
云わば、自給自足的な生き方が人間本来の有り様ではなかろうか。
自然な形で隣人同士が助け合い、励まし合って生きていた。
都会の息苦しさから抜け出して、あの「ポツンと一軒家」的な
生活が日常であったわけだ。
それにしても、人間の幸せとは何だ?
人は何を求めて、何を探して生きているんだ?