『渇しても盗泉の水を飲まず』(文選)
『鷹は飢えても穂を摘まず』
『斃れて後、已む』(礼記)
仕事上、それに近い心境に陥る時がある。
そこでグッと踏み止まるか否か!
同じ石に二度躓いては、阿保の中の阿保だ。
重責を担った人は
「辞表を書かなきゃ!」と思う所まで行って
そこで踏み止まって
リカバリーした人間でないとダメ!
井川意高
スピードや利便性が求められ過ぎて、
ゆったりとした時間が、まるで悪であるかのようだ。
幼少期を思い出す…
湧き水、囲炉裏、ランプ、五右衛門風呂…
それぞれに風情が感じられた。
特別に不便だとか、面倒くさいとか思わなかった。
逆に、空気は美味しかったし、太陽は暖かかった。
庭には、季節の花が咲き誇り、
裏山には、無花果や橙、野いちごやあけび、栗や椎の実
何でもありだった。畑では大方の野菜は採れたし
まさに自然の恵みを実感できた。
浜に行けば、サザエやアワビは普通の食材だったし、
魚は蛸糸や釘を曲げたような針で、そこらの貝を潰した餌で、
苦労なく釣れたし、子供たちは晩のおかず取りに一役かった。
今では、何もかもが営利と直結してしまっているが、
云わば、自給自足的な生き方が人間本来の有り様ではなかろうか。
自然な形で隣人同士が助け合い、励まし合って生きていた。
都会の息苦しさから抜け出して、あの「ポツンと一軒家」的な
生活が日常であったわけだ。
それにしても、人間の幸せとは何だ?
人は何を求めて、何を探して生きているんだ?