その時初めて、私は自分でも説明のつかない、何か不可思議な心の粟立ちを感じた。
それはかすかな、それとはわからないほどかすかな嫉妬であり、悲しみであり、
空しさだった。慣れているはずの感情には違いなかった。私はいつも、人生に生じる
幾多のささやかなドラマの中心人物にはなれない人間だった。よくても端役、悪ければ
黒子にすぎず、ドラマは私がいてもいなくても、滞りなく進んで終焉を迎えた。
「欲望」【小池真理子】
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まるで自分のことを言い当てられているような文章に出くわす。
芝居で言えば端役や黒子でも、僕にとっては、そこが居心地が良かったのだ。
歌で言えば、バックコーラス。旋律で言えばアルト…そんな感じ。
居直り的に考える時がある。主役も脇役あっての主役なのだ。
一人芝居でもないかぎり…。
目の前の出来事を軽く見てはいけない。今の一言、今の判断、今の沈黙、今の不誠実は
その瞬間だけで終わらない。誰かの心に残り、次の行動を生み、次の時代の空気を作る。
戦争も、差別も、宗教対立も、政治的な憎悪も、突然生まれるのではなく、小さな記憶の
積み重ねが、ある時に神話化され、正義化され、怪物のようになって現れる。
目の前の出来事の中に、未来の歴史の種がある。だから今、どう行動するか、それを
どう語るか、どう受け止めるか、人間の責任はそこにある。愚かな選択による自業自得は
本人や為政者の勝手だが、それが歴史となる時、多くの人を最悪の負の連鎖に追い込む。
【長松清潤】
私の両親は、いわば対になったブックエンドようなものだったと言っていい。
中身がどんなものなのか考えようともせず、必死になって左右から押さえ込み、
表面を取り繕ろうための努力を惜しまない。本が逆さまにならないように、棚から
落ちてしまわないように、彼らは気を配り続けた。そして私は、おかしな言い方に
なるが、そんなブックエンドにはさまれて育った一冊の本だった…。
【小池真理子「恋」】
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状況を引用して、自分に当てはめてみたら、僕は父の書斎の中の膨大な量の本たちの
なかで、引き出されることもなく積み重ねられた本たちの中に挟まれた、一枚の
メモ用紙的存在だったのかも知れない。僕自身が何かに書き残している。
「そこに家は存在していたが、家庭がなかった…」事実、ごく稀に立ち寄っても、
僕自身の部屋というものは存在しなかった。もし、帰ってきた時のために…という
思い遣りも無かったというわけだ。