この街に住んで、もう半世紀以上が過ぎてしまった。
子供たち、孫たちにとっては、この街が故郷だ。
僕には生まれ故郷や育った街の思い出はあるが、さすがに五十年以上も
住み続けると、この街への愛着はこびりついてしまっている。
いろんなことがあった・・・
いろんなひとと出会った・・・
いろんな人と別れた・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪さりげないやさしさが
僕の胸をしめつけた
この街で僕を愛し
この街で僕を憎み
この街で 夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて 微笑みあおう
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
♪街の角 喫茶店
古い美術館
山かげの細い道
初恋の涙
この街が好きさ
君がいるから
この街が好きさ
君の微笑みあるから
何気ない言葉や仕草の中にこそ、その人の本質がある。
意識すれば言葉を選ぶし、書き物であれば読み返しもする。
裏を返せば、思ってもいないことは言葉として出てこないということだ。
まさしく「覆水盆に返らず」
政治家の失言が話題となっているが、これとても同じこと。
失言と言うよりは本心(本音)ということだろう。
ごく身近なところでも、似たようなことが起こっている。
僕の場合、受け身の立場が大半なんだが、「ああ、やはりそういう奴か」
にたどり着く。諫めはしない、そういう奴として見切ることにしている。
自分への言い聞かせとしては、「思いやり」や「心遣い」を言葉に
込めたいと思っている。ごく自然な形で。