先生が、親が、そして知らぬ誰かが決めつけた、その道を歩み続けることはない
さ。あたかもその一本道の到達点を示されたからって、そこが本当のゴールとはか
ぎらないし、そこが幸せとはかぎらないさ。
跳ね返してやれ!
捻じ曲げてやれ!
鋭い刃で切り刻んでやれ!
きみの信じる道を行け!
確かでないのは分かり切っている。だから、それを確かめに行くんだろう?
君にとってのたった一人の賛同者でも、僕は応援するよ。
昔の僕と重ね見ているからね。
そこに建物としての「家」は存在したが、肝腎の「家庭」がなかった。
母親の存在が家族から欠落するということは、この世で太陽が失くなることに等しい。
つまり、お母さんは家の太陽というわけだ。
継母には可哀想な言葉かもしれないが、人工太陽では心の闇は照らせないし、心
中の氷は、ちょっとやそっとでは溶かすことはできない。まだ小さかった僕は、思
春期の兄や姉ほどの抵抗感は無かったが、それでも義理の弟が生まれてからと言う
ものは、兄姉に倍して言い知れぬ暗闇を押し付けられた。
糸井重里氏の「独り遊び」を真似してみた。替え歌というほど大層なものではないが、歌詞のある部分を他の言葉に置換えたりするものらしい。
例えば…「悪いのは僕の方さ 君じゃない」→「悪いのは君の方さ 僕じゃない」みたいな。面白い!
「この街が好きさ 君がいるから」→「この街が嫌いさ おまえがいるから」
「きっと来てねと 泣いていた」→「もう来ないでと 怒ってた」
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残雪を 踏んで登校 小学生
小学生 残雪踏みしめ 登校す
わざわざに 残雪踏んで 登校す 渡部秋耕
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さて?どれを選べばいいのやら?
どんなに素晴らしい名言、卓説も
その趣旨の何分の一でもいいから
自分の中に取り込んで
実践、実行、体現しなければ意味がない
ただの物知り学者で終わってしまう
悩んでいる人に
頑張れ!頑張れ!と言ってはダメと言われるけれど
その理由がいまいち分からない
だからせめて心の中で
フレー!フレー!と旗を振る
遠い空だよ いとしい瞳
呼べどこだまは かえらない
恋は一度さ さすらい者が
男泣きして みる夢さ
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呼んでとどかぬひとの名を
こぼれた酒と指で書く・・・
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一人酒・・・
なぜか昔の唄が蘇る
なにがそうさせるのか
これを「未練」と言うのだろうか
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比叡山 雲に突っ込み 雪の原 渡部秋耕
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『行けるだけ 行けとて進む信行に 行かれぬように ならぬご利益』
日扇聖人
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苦しい時だけの<神頼み>的生き方(信行)ではダメだな。
真実一路
諦めたら、そこで終わり。