そこに建物としての「家」は存在したが、肝腎の「家庭」がなかった。
母親の存在が家族から欠落するということは、この世で太陽が失くなることに等しい。
つまり、お母さんは家の太陽というわけだ。
継母には可哀想な言葉かもしれないが、人工太陽では心の闇は照らせないし、心
中の氷は、ちょっとやそっとでは溶かすことはできない。まだ小さかった僕は、思
春期の兄や姉ほどの抵抗感は無かったが、それでも義理の弟が生まれてからと言う
ものは、兄姉に倍して言い知れぬ暗闇を押し付けられた。
糸井重里氏の「独り遊び」を真似してみた。替え歌というほど大層なものではないが、歌詞のある部分を他の言葉に置換えたりするものらしい。
例えば…「悪いのは僕の方さ 君じゃない」→「悪いのは君の方さ 僕じゃない」みたいな。面白い!
「この街が好きさ 君がいるから」→「この街が嫌いさ おまえがいるから」
「きっと来てねと 泣いていた」→「もう来ないでと 怒ってた」
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残雪を 踏んで登校 小学生
小学生 残雪踏みしめ 登校す
わざわざに 残雪踏んで 登校す 渡部秋耕
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さて?どれを選べばいいのやら?