「酒の味の良し悪しは、吞み手の心情にある」
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐の喩もあるぞ
「さよなら」だけが人生だ
干武陵(井伏鱒二 訳)
酒呑みにとって、吞む理由はどうでもよいのだが、そこに友との惜別が、
人生の別離があれば、その酒は文句無しに味わいが出る。酒は二級で十分。
何が大吟醸だ。わかったようなことを言いやがって、コノオタンコナス。
伊集院 静
♪この広い世界中の
何もかも
ひとつ残らず
あなたにあげる
だから私に
手紙を書いて
手紙を書いて
久しく手紙を書かない
真意は文字化された言葉
の中に込められる
流れるような筆跡に
僕は言葉以上の心を感じた
だから…
だから、僕に手紙を書いて
世の中が様々なハラスメントに対して、NO!の声を上げ始めたことは認める
が、悲しいかな大方は、何か事が起こってしまってからの話しであり、具体的事件
になる前に、つまり事件化を未然に防ぐ段階での行動が大切ではなかろうか。
しかしながら、当事者的立場の者としては、非常に勇気の要る話であって、
極端な言い方をすれば、赤穂浪士的心境とでも言おうか、<刺し違え>覚悟と
言ってもいいくらいの忍耐と決断が求められる。
僕は、ささやかながらその行動を求められる立場にある。僕が決行しなければ
他の誰も出来ないし、僕が躊躇すればするほど被害者は増大し、最悪のケースを
招かないとも限らない。超現実的言葉を用いれば、警察沙汰になる前に動くことが
求められているのだ。
世の加害者は平然と言ってのける・・・「これは厳しい躾の一環だ!」
「これは愛の鞭だ!」・・その偏った思考に立ち向かうのは容易なことではない。
でも一方で、事件化されてしまっては元も子もないので、やはり自分が如何に
動くかと言う処に戻ってしまうわけだ。
年の功というのか
自分で言うのも何だが
いろんなものが見えてきたよ
えっ!がなくなって
やはりそうか!が
俄然多くなった
すべてが読めるってほとでは
ないが、的中率は高い
人の心、事の展開、事態の成り
行き、後始末の方法
後は、己だよ
そう、己
世の中の縮図が身近なところに厳然と存在している。
ドロドロとした感情のやり取りもあり、血なまぐさい決闘?もあり・・・
僕はレフリーでもないし、行司でもないけれど・・・
僕なりの判定はハッキリしているさ。
白旗! 赤旗!
両方挙げる人もいるけれど、
僕は片方しか挙げないね。
アウト! セーフ!
五十、六十、七十になって
自分の本質を改められる人は少ない、いや、皆無に等しい。
大方は、その時点での自分を<完成品>と思ってしまうのだ。
僕は思う・・・
第三者的<眼>を持った・・・もうひとりの自分を持つべきだ・・・と。
いや、しかし・・・
何もかも変えよ!と言っているわけではない。
己の心に誓って<これだけは譲れない!>事は、断固守り貫くべし!
第三者的には、「年の功」と言うのだろうか。
いろんなものが見えてくる、分かってくる。
しかし世の大方は、自身の<裸っぷり>には気づいてはいない。
裸の王様、裸の女王様のオンパレード。
大人社会は、ある意味・・・狡い。
その本質をすんなりと本人には言ってはくれない。
陰で言う・・・他人に言う・・・
真の友を見極めるべし!
、
そもそも「素直、正直」とは何なのか?
大人社会の「狡さ」にはウンザリだ。
他人の発言を遮るかのように、自分が端を発して
己の手柄?にしようとする。
オイ、オイ、それは僕の言った言葉だろう!?
まあイッカ!
それであなたの対面が保てるのなら・・・。
知る人ぞ知る。
それを信じたいね。
逢いたい人に逢えない・・・
その障害物とは何なんだろう?
その多くはあちら原因なんだろうが
そのまた原因を作ったのが、僕の方かも知れないと考えたら
考えるのが嫌になった。
音信不通にもいろいろある。
明確に想像できる原因もあれば、まったく行き当らないのもある。
言い訳をしようったって、誰に何を語るのさ?
結局は、それまでのご縁ってことかな?
しかし、しかし・・・
曲がりなりにも僕と言う人間と関わりのあった人物だ。
紙屑のようにポイッとは捨てられない。
筋を通したい、決着をつけたい・・・いやな性格だな。
○わかりやすい
○短い
○誠実
手紙は簡潔がいい。時候の挨拶などはなるたけ短くする。
要点だけをまず書き、あとは相手への気遣いが感じられれば、
それで十分。それ以外は無用である。
伊集院 静