象は己の死を覚悟した時、ヒトリ静かに群れを離れていくという。
秋元康の同名小説(映画)の主人公は、余命半年の癌を宣告され、
かって関わった幼なじみや恋人、仕事上の相手等々…を巡り歩くわけだが、
僕的には、それらの人々と直接逢うことでもって、様々な現実を突き付け
られるよりは、想い出は想い出のままで、その時々で留めておきたい。
しかし、しかし、…逆の立場だったらどうだろうか?
幼なじみが…クラブの同僚が…片想いの彼女が…失恋相手が…突然現れたら、
どう対処するだろう?
ここには年齢というものが立ちはだかる。壮年期、晩年…のそれぞれの壁
自己満足か自己欺瞞か…夢追い人か夢芝居か…
なぜか、"はしだのりひこ"の歌を口ずさむ
♪ひとは誰もただひとり旅に出て
ひとは誰もふるさとをふりかえる
帰っておいでよとふりかえっても
そこにはただ風がふいているだけ…
この人生の最晩年に、人を巡るというよりは、土地を巡ろうと考える自分がいる。
生まれ故郷の隠岐の島、学生時代の松江市、放浪時代の…萩市、広島市、
岡山県の田舎、再び隠岐の島(島後)、博多、鹿児島、、、、
気楽な車旅か、のんびりとした列車の乗り継ぎか、、、夢は尽きない。

猛暑日続きの京都…まさしく外は危険だ。
昨日、所用のためバスで出掛けた。乗り換えが必要だったため、次のバス停で
待っていたら、老婦人が女子大生に何やら頼み込んでいた。断られたようで、
今度は僕に。バス賃を貸して欲しいらしい。一瞬、これは詐欺だな…と思ったが、
黙って230円渡した。そして彼女は到着したバスに乗り込んで行った。想像するに、
彼女は無賃乗車証を持っているはずだ。おそらく先のどこかで降りて、
また同じことを繰り返すはずだ。
これを半日もやれば、千円、二千円は稼げる?だろう。
成功率は三割か五割かわからないが…。寸借詐欺というやつなんだろう。
僕は、そのせいとは言わないがバスの系統を間違えてしまい、遠く離れた場所で
下車して2キロほど歩く羽目になった。炎天下、持って行ったタオルが汗にまみれた。
これなら、タクシーに乗った方が良かったかな…と自分を責めた。八つ当たりする
物も無く、「あの婆さん、いい死に方は出来んよ」と思いながら、ひたすら
汗を拭き拭き歩いたのだった。