「もらい湯」と書けば、これは現代ではもはや死語かも知れない。
母の死後、父は再婚し、隠岐の島から松江に移住した。父は教師と言う仕事柄、
転任を繰り返したこともあり、僕は小学校を卒業するまで、ほぼ毎年転居を余儀な
くされた。ようやく義母の里の家に落ち着いたのが六年生の時だった。母屋の裏に
あった納屋を改造して、そこが僕たちの住まいとなった。兄と姉は、通学の都合や
義母への抵抗感が強く、母方の親戚に身を置いていた。
建物の構造上、当然ながら風呂は無く、母屋のお風呂に入れてもらうことになっ
た。いわゆるもらい湯だ。五右衛門風呂だったから、その沸かし役は僕だった。
新聞紙で火種を作り枯れた松の木、そして薪という順番で沸かして行った。蛍の光
ではないが、その灯で本を読んだ記憶がある。
僕たち家族が入れるのは当然ながら母屋の人たちの入浴後であり、日が代わるこ
ともしばしばだった。隣が寝室と言うこともあり、できるだけ音を立てないように
随分と気を遣った。
こんなことの連続の中で、僕の性格は出来て行ったのかもしれない。いつも言う
<ピエロ性>だ。顔で笑って心で泣くいつもニコニコの<笑顔良しのあきちゃん>
だ。
「時が解決する」とは
よく言ったものだ
「時間がクスリ」とも言う
別な言い方をすれば
時が己を成長させる
涙が乾くまで
泣くだけ泣けばいい
悔しい話だが
理不尽がまかりとおるのが
世の中だ
さあ、そこでどう切り替えるか
丸ごと受け入れはしないさ
またしても、なにくそ!だな
師匠に言われたことを思い出す。
人を注意する時は、何処か一ヶ所、逃げ道と言うか避難場所と言うか、
そう言う所を与えなくてはならない。
何処へも逃げ場の無い状況を作ってしまっては、
言うべきことも伝わらない。
ネズミの抜け穴とでも言うべきものだ。
表現を替えれば、
三つ注意を与えて、最後に一つでいいから、
どんな小さなことでもいいから誉める。
「だけど君の此処は良いね」というわけだ。
そうすれば、注意された点にも心が素直に向くというわけだ。
これは、逆の立場での実体験でもある。
科学技術が、時間を節約する。
しかし、そんなに急いで何処へ行く?何をする?
スローライフを叫んだのは、いつの頃だった?
たとえ孤独でも、その思いを貫いたか?
そこら辺の同世代と変わらない世間の目の中で、
己の特異性に気付くのに、随分と遠回りをしてしまった。
でも逆に、その遠回りのおかげで、
僕は自分だけの宝物を見つけることが出来た。
おそらく他人様には、そこらに転がっている石ころのようなものだろう。
寒風の中、シェラフの中で見上げた満天の星空の中のひとつ星のように。