♪広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬踊る光に 揺れていた君の瞳
季節はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人はもういない
クラブの夏のイベントで、僕は幹事をしていて、いろいろと動き回っていたのだが
カラオケの最後の方になって、みんなから「幹事も唄え!」ということになった。
僕は「青葉城恋唄」を選曲した。というのも、故郷の懐かしい友の死の知らせから、
まだひと月も経っていなかったのだ。彼女の供養にはとてもならないだろうけど、歌詞の内容に彼女への想いを重ねて歌い出した・・・。
優しいメロディーと歌詞の内容が、彼女の想い出と重なって、涙が滲み、声が震えた。近くで聴いていた人が、事情も知らないだろうに、目頭を押さえていた。
友は多い方がいいかも知れない。
だけど一方で僕は思う。
数だけの問題ではないだろう・・・と。
たった一人でも、心底分かり合えるひとであれば。
リクエストがどうだとか、アクセスがどうだとか
そんなことはもう気にしなくなった。
その数獲得のために、事の内容を誇大化したり、
面白おかしく広げて見せるのは、すんなり心には響かない。
時に、一枚の無言の顔写真の瞳の中に、
言い知れぬ感性と繊細さを見つけるときがある。
人間の表情は、インスタントに形成されるものではない。
その人の想いや知識や経験が顔を作り上げる。
大きなサイクルで物事を見る
長い時間で人の心を見る
刹那的ではなく
行き当たりばったりでなく
そうすれば見えてくる
感じ取ることができる
黒い渦に呑み込まれないように
逆にこちらが包み込むように
どっしり構えてさえいれば
来るべきものは来る
去るべきものは去る
人も事象も同じことだ
これまで何を積み重ねてきたか
何を見逃してしまったか
ひとの心を見つめ続ける
好きな誰かを思い続ける
時代おくれの男になりたい
…と阿久 悠は書いたが
果たしてそれは時代おくれか?
もしそれが時代おくれとしても
僕はその心を失くしたくはない
また、そうして生きて来たんだ
その想いを持ち続けるかぎり
心の中の灯は優しく燃え続ける
人間には それぞれリズムがある
生活そのものであれ
考え方、行動パターンであれ
他人様を自分のリズムに
無理矢理合わせさせようとして
それが叶わなかったら
「どうして?!」と来る
この時点で、僕は非通知にする
あるいは拒絶する
そもそも(友達)なる定義が
人それぞれバラバラだから…