痴呆症の人を抱えた家族の問題は深刻である。
僕の身近でも存在している。
徘徊や金銭感覚の麻痺とかもあったから、大変だったらしい。
やがて介護施設のデイサービスのお世話になれたから一時凌ぎはできたけれとも、
問題は、在宅の過ごし方である。
伴侶がいるのだが、食欲は異常、なんでも何回でも食べる。
油断するとアルコールも見つけては飲む。トイレは異常なくらい頻繁に行く。
そこで伴侶がキレる。我慢ならずに暴力行為になってしまう。
徘徊防止のため、玄関にカギをかける。現代版座敷牢状態といっていい。
子供たち(と言ってもイイ大人だが)は、それぞれの立場で駆けつけてはいるが
もっとも深刻な現実には遭遇しない。「痴呆老人の接し方」といった教科書的
教訓は、現実の場面では何の意味も成さない。一歩間違えれば事件になりかねない。
昨日、顔面を拳で殴られたのだろう、目の縁を真っ黒にした悲惨な顔を目にした。
限界を超えた殺人事件のニュースも他人事ではない。
【捨てる神あれば拾う神あり】という…
まさにその通りで、思いがけない助け船に出会う。
今の世の中というのは、ごく一部の(一握りの)資産家達には天国だろう。
しかし、大多数の一般人にはまったく無縁の絵空事であり、むしろ一歩先は
断崖絶壁という条件下にいる人たちも大勢いる。いまだにコロナ禍を引きずって
いる人たちも少なくない。
簡単に勝ち組、負け組というけれど、その線引きには大いなる違和感を覚える。
街の商店街は、シャッター通りと揶揄されるほどに寂れきってしまっている。
勿論経営者自身の高年齢化や跡継ぎ問題もあるだろう。しかし果たしてそれだけ
だろうか?コンビニ、ドラッグストア、外食産業、等々、その広まりは
個人経営者の店舗や仕事場を、凄まじい勢いで奪い去ってゆく。
友人知人のなかでも、八百屋さん、ネクタイ屋さん、牛乳屋さん、本屋さん、
お米屋さん、等々…同様の下降線を辿っている。しかしその一方で、
自分自身も家族も、そうした部類の大型店へ足を向けているのも
動かしがたい事実でもある。なんという皮肉。
時の流れにこのまま埋没するか、浮き上がるか、大ジャンプするか
個人の能力レベルを、はるかに超えた次元の問題だと思うのは
僕だけだろうか?
いわゆる【富裕層】は、物質的、金銭的なソレであって
おそらくは…それこそが【幸せ】の根幹と思おうとしているにちがいない。
娯楽、旅行、住居、ショッピング…形あるものに快感(優越感)を得ようとしている。
そしてソレ以外の者の論調には、(負け犬の遠吠え)(負け惜しみ)くらいにしか
思っていないに違いない。
そしてさらには、人間同士でも、地域としても、あるいは田舎と都会としても、
もっといえば国家間においても、本質は同じなわけで…
僕は予言者でも占い師でもないが、おそらくは近い将来、◯◯ショックは必ず来る。
それは天が与えたもうた罰ではなく、自業自得の結末なのだ。