【自己風刺】とは、
自分自身の欠点や弱点、特有の癖を、あえて誇張し
ユーモアや皮肉を交えて笑い飛ばす表現方法
…とあるが、なんとなくそれに近い感覚で生きてきたように思う。
…でなかったら、ここまで生きては来なかっただろう。
言葉を変えれば、いつも言うように「二人の自分」の
共存とでも言おうか…そこが互い?の緩衝材、クッション、
逃げ処なのだ。
己を如何に客観視するか…そこに答えがある。
逆にソレが出来ない人は、自爆する。もっと高じれば
他人に害を及ぼす。腹癒せというか、自爆でも止めの効かない
過大なエネルギーのために…それはそれで本人は納得かも知れないが
迷惑なのはソレを向けられた側である。かすり傷程度ならいいが
打ちどころが悪くて、内出血や捻挫でもしようものなら、どこにその
責任追及を向ければいいのだい?
○○に点ける薬はない~と言うけれど、全く傍迷惑この上ない。
現実は、捉え様によっては、単調極まりない世界かも知れない。
だけどもう一方、捉え方によっては、複雑怪奇な世界を生み出す。
人は皆、単純単調とも言える現実社会の中で生きている。
それがすべてだと思い、いや、それがすべてだと観念して生きている。
僕はそうとは思わない。己の心の持ち様次第で、世界は一変する。
しかし、実存主義と言ってしまえばそれまでの話なのだが、僕的に言わせてもらえば
果てしなく繰り広げられる夢世界を、いとも簡単に葬り去るのは勿体ない。
波長の違いと言ってしまえば、それまでの事。
僕的にも、それをどうこう言う資格はない。
むしろ、「知る人ぞ知る」で納得する。
人は皆、孤独だ。いや、僕だけか?
嘘と欺瞞と稚拙な演技で形成された「現実」に憐れみの感情さえ覚える。
何故か突然、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」とチコちゃんの声が木霊した。
ウエブ上の「なりすまし」や「乗っ取り」は後をたたないけれども
その手口もだんだん巧妙化してきて、一昔前のように即座には見破れない。
ただ言えることは、彼ら(彼女ら)がやらされているという点だ。
必ずどこかで小さな「ほころび」が露呈する。 さらに加えれば、
おそらくは、いくつもの件数をこなしているのだろう、自身や相手の名前や
ニックネームが混同してしまったり、全く別人に返答したりが起こる。
そしてやがて、「こりゃ見込み無いな」となったら、あっさりと退散して行く。
それはそうとして、僕が考えるのは、「乗っ取られた人」「成りすまされた人」
のことだ。特に写真~これは深刻さを内蔵していると思う。とは言いながら、
僕でも判断しかねる「友だち」も存在するわけで…。
結論的に言えば、「君子危うきに近寄らず」ってことかな。