何気ない言葉や文章からでも、人の心は読み取れるものです。
書いた、話した本人が意図しなくとも、心は伝わり来るものです。
ちょっとした字句やちょっとしたトーンの中に、心は読み取れるものです。
だからといって、逆も又真なり~と行かないのがこの世の中。
そこまで言わすか…となった時には、僕は大概口をつぐむ。
何故なら、その段階ですでに心の通信線は、遮断されてしまっているから。
逆を言えば、今の世は一から十まで現実に声に出して言葉に置き換えなければ
伝わらない時代だから…。
「一を聞いて十を知る」が通用するのは、はるか遠い昔の夢物語なのだろう。
実の夫婦でさえ、実の親子でさえ…。
そう考えれば、目と目で会話が出来て、言葉なくして心が通じる【あなた】が
いるというのは、なんと幸せなことだろう。
○いい年をした男が、餓鬼のころからの淡い思いを未だに引きずっているというのは
恥ずべきことに違いありません。
○くだらない美意識を後生大事に持ち歩いて、すべてを自分が定めた様式の中に
おしこめようとして…
○二十代の初めのころからだろうか、私は自分が長い旅をしていると思うことが
よくあった。帰る場所のない旅、行き着く先の想像もつかない旅である。
「欲望」小池真理子
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一小説の中の何気ない一文であるが、自分のことを言い当てられているようで、
傍らのメモ帳に書き記した。自分だけではないんだという安心感と同時に、
言い当てられてしまった気恥ずかしさと…
しかし、小説の構成上欠かせない韻文であることは理解出来る。
こういう男はたしかに存在するのだ。生い立ちやのその後の性的行動も含めて…。
まるで自分がこの小説の題材になったかのような錯覚に陥る。
自分の中のもう一人の自分が嘯く
いや、違うか…
腹を立てている
何に対してか? それは判然としない
けれど、何かに苛立っている
これは久しい感慨だ
自己の中の何かが動き始めている
挑戦? 対抗? 復讐?
自分でも怖いくらいの言葉たちが沸き上がる
僕はいったい何に立ち向かおうとしているのか
鈍感男の真骨頂
僕は号砲が鳴って、はるか遅れて
スターティングブロックを蹴った
「あの時、僕は死んでたなぁ…」と、
思い返すことが一つどころか片手の指の数ほどある。
小学校入学前の頃、釣りに行って海に落ちた。
必死に海中で踠いていていたら、友が差し出した釣竿が見えた。
あれ以来、僕は泳げなくなった。プールでも足が届かないと分かると溺れかけた。
二回目も海だった。父が僕が泳げるようにと、いきなり海へ放り投げた。
しかし前例通り、又してもホントに溺れたので、父は必死に助けあげた。
正真正銘のトラウマだ。
ボーイスカウトの訓育中、ゲームの中で目隠しをした鬼役に僕は掴まえられて、
放り投げられて、しこたま後頭部を地面で強打した。
三日三晩、昏睡状態だったらしい……。
岡山県の田舎道で、僕はオートバイの後部座席に乗せられていた。
砂利道のため操作不能になった時、僕は後方に放り出された。
又しても三日三晩、僕は昏睡状態だったらしい……。
葬式に僕は急いでいた。信号が50メートルもなく二つ続いていた。
僕は一つ先の信号しか見ておらず、手前の赤信号を無視状態で突っ込んだ。
強烈なサイドインパクト!助手席に飛ばされ、車はガードレールで際どく止まっていた。
気が付いたら救急病院にいた。
警察官が僕の名前を大声で呼ぶのが聞こえた。
なぜか廊下に立っていた僕が「ハイ」と手を挙げたら、
「あの車の状態だと、死んだと思ったよ」としげしげと僕を見つめていた。
しかし、家に帰ってから一週間、僕は全く身動きできなかった。
バブル最盛期のころ、仕事の忙しさに比例するかのように、全国を旅行して
廻った。九州一周の旅行の最後が鹿児島だった。無事帰宅しての仕事中、
「病院へすぐ行け」との連絡。行ってみると「すぐ入院してください、
病院は手配済みです」と言われた。次のアメリカ旅行のための血液検査を
したのを思い出した。肝臓関係の数値が異常すぎて「入院しないと死にますよ!」
と言われた。どうも生牡蠣に当たったらしかった。しかし、一人商売の身、
3ヶ月の入院は廃業を意味していた。何とか頼み込んで通院による点滴治療を受けた。
もちろん現場へは行けず、電話とファックスで友人の助けを借りて、3ヶ月をこなした。
自身の記憶にない死にかけがある。まだ二才未満の時、食べ物を全く受け付けなく
なったらしい。父は兄姉と同様に死を覚悟したらしい。しかし、誰かの見舞い品の
果物を急に猛烈に口にしたらしい。それで一命を取り留めた。
そんなこんなで、今日まで生き延びている自分だが、最近思うことは、
自分は【生かされている】ということだ。あの時、あの時も、
死んでもおかしくなかった身だ。そう思えば、如何に生きるべきかが
自ずと分かろうというものだ。
しっかりしろよ!
天に感謝しろよ!