喧嘩しよう
正々堂々と喧嘩しよう
土俵下で野次ってもしようがない
応援席で野次ってもしようがない
土俵に上がろう
リングに上がろう
ある事ない事
言われっぱなしでは引き下がれない
さあ!来い!
グローブは要らない
張り手でも何でも受けてやろう
君は僕の必殺技を知らない
闘わずして勝負は決まっている
しかし、より強く知らしめるために
あえて・・・戦いの場は設けられる
必殺!
一発K.O
あなたは・・・僕を甘く見たようですね
僕は現代の「必殺仕事人」なんですよ
あれは僕が結婚をする前の頃だったろうか?
父は手紙の中で「おまえは、<脱出>の名人だな・・・」と
誉め言葉なのか諫めの言葉なのか・・・分からないような一文があった。
たしかに僕にはその歳までに、一度と言わず二度、三度<脱出>をした。
自分的には・・・
「孤独になろう・・・自分を見つめよう・・・」だったのだが
された側からすれば「なんて身勝手な」「迷惑この上ない」
行動であったに違いない。
<脱出>は殻を破る〜最短、最善の道だ。
<今>は・・・
躰ごとの脱出ではなく、心の脱出だ。
それこそが真の<孤独>と言うものだと確信している。
悲しいかな、もはや思考的成長は止まってしまったのだろうか。
久しぶりに会った友との会話、前回とそのまた前と同じ内容の話をしている
自分だった。それを固定化した己の考えと言っていいのか、それとも何の
成長もない己と言えるのか・・・僕は後者のような気がしてならなかった。
他人の批評を己の餌にしているようでは、真の意味で心は満たされない。
この年になって、知的成長なんて口にする方がおかしいかもしれないが、
自分の中ではなんとも煮え切らない消化不良感が続いているのだ。
お前の信条は、
「いつも青春 いつも青春 いつも心の流離い」
ではなかったか。
思想的転向と、人は簡単に言うけれど
それは的確な表現ではなくて
左でも 右でも 中でもない
思想の超越、飛翔である
ある人にとっては諦めかも知れない
その域内に留まる人は特権階級の優越者であって
現実社会の縮小版の世界に生きているに過ぎない
ある人にとっては自立かも知れない
更なる領域への飛翔かも知れない
しかし其処にまた行き止りを感じた時
人は自死を選択しこの娑婆におさらばする
《極まりて 悲しき時に あらざれば まことの信は 起こらざりけり》
日扇聖人
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悲しき時、苦しき時、辛き時、耐えがたき時・・・
まだ、まだ、まだ
残った、残った、残った
気に入らぬこと多きこの娑婆世界で
踏みにじられ、蹴散らされ、泥水をぶっかけられ・・・
それでも両頬をバシッと叩いて
上を向く 前を見る
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♪死んじまいたいほどの 苦しみ悲しみ
そんなものの ひとつやふたつ
誰もがここあそこに しょい込んでるもの
腰を下ろし ふさぎこんでも
答えはNothing!
ぶっ飛ばしたいほどの怒りや口惜しさ
そんなもののひとつやふたつ
殴られた痛みはTRYへのワンステップ
尽きせぬ自由は がんじがらめの不自由さの中にある
くよくよするなよ あきらめないで Just like a boy
そのやせこけた頬のままで
果てしない迷路の中を
人はみんな手探りしてでも Stay Stay Dream
ひねくれかけた瞳のずっとっずっと奥に
もがいてる もうひとりの俺がいる
一番怖いものは 勇気だと知った時
自分の弱さに思わず鼻をつまんだ
もうこれ以上先へは進めない
たとえば 挫折が目の前に立ちはだかる
そんな夜は心で命の音を聴け
たかが こんな自分は! と一度だけからかってみなよ
くよくよするなよ あきらめないで Just like a Boy
その痩せこけた 頬のままで
果てしない迷路の中を
人はみんな手探りしてでも Stay Stay Dream
そう Stay Stay Dream
これを歌う(言える)年代は、若者ではない
そこそこの年齢だ
そして・・・
そこそこの恋の経験者だ
大恋愛、大失恋の・・・
♪あなたの過去など 知りたくないの
済んでしまったことは 仕方ないじゃないの
あの人のことは 忘れてほしい
たとえこの私が 聞いても いわないで
♪あなたの愛が 真実なら
ただそれだけで うれしいの
ああ愛しているから 知りたくないの
早く昔の恋を 忘れてほしいの
森信三先生の曰く「相対観」を脱する・・・というのは、
いざ実行となると、様々な障壁が立ちはだかる。
膨大な情報量もそうだが、何より人との接点が数々の摩擦を生む。
座禅ではないが、いわゆる世間と隔絶した世界に己を置くことが難しい。
全てを雑音とは言わないが、耳栓でもしない限り、
無制限に入り込んで来るのが情報というものだ。
そんな中ででも、取捨選択を的確に行い、
切るべきものはバッサリとやるのが大切なのだろう。
居直りではなくて、唯我独尊の気概と呼ぶべきか。