今、信仰二世、三世の問題で世間が揺れている。そこに起因して一国の総理が殺されたのだから、単純な問題ではないことは明らかだ。僕は団体は全く違うが、主体側と信者側の両方を体験しているので、一概に結論めいたことは言えない。団体そのものの内部でも法廷闘争は頻発していた。僕はその混乱の中で際どく脱走したのだ。一般社会に戻った後しばらく、僕はマインドコントロールの恐ろしさを嫌というほど味わった。もっとも顕著だったのが、二年後れの大学受験をした時だった。ごく単純な小論文だったのに、それが書けなかったのだ。頭に浮かび上がってくるのは、教義的な文章ばかりで、全く世間常識的な文言が浮かばなかったのだ。その屈辱的な挫折に始まり、本当の意味で普通人に戻れたのは、更に三、四年後だった。心の住む世界が対極にあるわけだから無理もない。だから、今話題の教団もちょっとやそっとでは、はい、終わり!とは行かないはずだ。端から見ればの洗脳も、当事者にすれば超真面目な信奉であって、少々のことで揺れ動いたのでは、全うな信者とは見なされないわけで。
子供たちの安心、安定の生活は、普通にとらえれば結構極まりない話なんだろう
けど「非情」とも捉えられかねない表現だが、「波乱万丈」こそが、本当は当人に
とって「幸い」なことではなかろうか?もちろん「時代性」も絡んでくるだろう。
欲望的にバブル時代を生きた人たちが、果たして本当の意味で「しあわせ」かどう
かは、大いに疑問の残るところだ。
よく言われることだが、我々団塊世代より10年上の世代の人たちは、大方が前述
の恩恵に預かっているはずだ。それが羨ましいという意味ではなくて、やはりそこ
には表面的な軽く薄い「幸せ感」しか伝わってこない。加えて言えば、それらすべ
てがあたかも自分だけの実力、力量にゆらいするものだと思い込んでいる人がいか
に多いかということだ。
(名誉欲)と(財欲)か・・・
これは全くゼロというのは、誰であろうと無理だろう
要は程度の問題だな
できるなら、八割は胸の奥底に静まらせたい
それも無理なら
山中深く入り込んで仙人になることだな
五分、六分の短編映画もいいもんだな
人の心の凝縮されたものが
花の香りのように
密やかに浮き上がってくる
「おめでとう」・・・「ありがとう」
「好き」・・・「大好き」
「じゃあ」・・・「あしたまた」
「あの〜」・・・「ん?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕は、深夜に5〜6分のラジオをやるのが夢だった
手紙を読むように語り
好きな歌を一曲かける
そして・・・
「おやすみなさい」
「また、明晩」
街の○○屋さんが消えてゆく
どんどんと消えてゆく
時代の流れ?
跡継ぎ問題?
大型店、チェーン店時代?
バブル前時代を生きた人たちが左団扇で大笑い
まともに大波を食らった人たちが這いつくばい
政治家は権力闘争に明け暮れて
僕は波間をすり抜ける木の葉船
数年前までの日常が、今日の非日常になっている。
そのじわじわと押し寄せる変化に、どう順応して行くかに戸惑う自分がいる。
暇と捉えるか?天から頂いた休息と受け止めるか?
心の持ち様で、今日のこの日の充実度が変わる。
歌と同じシチュエーションが現実の僕にも現出するわけで・・・。
作詞者も同じ経験の持ち主なのかと、感慨に浸る僕がいる。
どこまでが許されて、どこからが危険で罪なのか・・・。
薄々解かっているから、きちんとブレーキは踏むし、バックもする。
数十年も前のことが、昨日のことのように思い出される。
それでもいつか・・・・・・・・・・・・・・・
♪何気ない毎日が 風のように過ぎてゆく
この街で君と出会い この街で君と過ごす
この街で君と別れたことも
僕はきっと忘れるだろう
それでもいつかどこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑んでおくれ
さりげないやさしさが 僕の胸をしめつけた
この街で僕を愛し この街で僕を憎み
この街で夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでもいつかどこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑みあおう
それでもいつかどこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑み合おう
いつか街で会ったなら 中村雅俊
他人様を責める心が
やたらと強い自分がいる
反対に
自分のことを言われたとき
やたらと腹を立てる自分がいる
この両極の自分がなんとも情けない
しばらくは、いや当分の間
自分だけに目を向けなさい
言えないでしょう
他人様のことなんか
「あなたはいつもどこか遠くを見ている」
そう言われて我に帰る。
一人っきりの時なら未だしも、二人の時はやはりマズイ。
逆の立場になってみれば、その屈辱感は痛いほど分かる。
この性癖は何に由来するのだろう?
「苦しい時の神頼み」的生き方ではダメだ。
その答えがどれだけ先になろうとも、日夜の努力を怠らないことが
天に通じる根本的あり方だ。
日夜の努力精進とは、ことが成就するまでのことを言う。
成就前に諦めてしまったら、三日坊主と言われても言い返せない。