○「地球は青かった」 ガガーリン
○「宇宙では、地球は小さく、非常に孤独に見えた」 ニール.アームストロング
○「国境線は見えなかった」 毛利 衛
○「宇宙から地球を見ると、すべてが繋がっていると感じる」 エドガー.ミッチェル
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宇宙から見れば、地球上のあちこちの戦争も、視覚的には蟻たちや虫たちの陣地争い
のように感じるのではないか?
よく「逆転の発想」と言うけれど、
「世界のそれぞれの為政者たちよ、一度宇宙から地球をご覧あれ!」と言いたい。
そこはもはや【神の領域】か?
現実は、捉え様によっては、単調極まりない世界かも知れない。
だけどもう一方、捉え方によっては、複雑怪奇な世界を生み出す。
人は皆、単純単調とも言える現実社会の中で生きている。
それがすべてだと思い、いや、それがすべてだと観念して生きている。
僕はそうとは思わない。己の心の持ち様次第で、世界は一変する。
しかし、実存主義と言ってしまえばそれまでの話なのだが、僕的に言わせてもらえば
果てしなく繰り広げられる夢世界を、いとも簡単に葬り去るのは勿体ない。
波長の違いと言ってしまえば、それまでの事。
僕的にも、それをどうこう言う資格はない。
むしろ、「知る人ぞ知る」で納得する。
人は皆、孤独だ。いや、僕だけか?
嘘と欺瞞と稚拙な演技で形成された「現実」に憐れみの感情さえ覚える。
何故か突然、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」とチコちゃんの声が木霊した。
ウエブ上の「なりすまし」や「乗っ取り」は後をたたないけれども
その手口もだんだん巧妙化してきて、一昔前のように即座には見破れない。
ただ言えることは、彼ら(彼女ら)がやらされているという点だ。
必ずどこかで小さな「ほころび」が露呈する。 さらに加えれば、
おそらくは、いくつもの件数をこなしているのだろう、自身や相手の名前や
ニックネームが混同してしまったり、全く別人に返答したりが起こる。
そしてやがて、「こりゃ見込み無いな」となったら、あっさりと退散して行く。
それはそうとして、僕が考えるのは、「乗っ取られた人」「成りすまされた人」
のことだ。特に写真~これは深刻さを内蔵していると思う。とは言いながら、
僕でも判断しかねる「友だち」も存在するわけで…。
結論的に言えば、「君子危うきに近寄らず」ってことかな。
その時初めて、私は自分でも説明のつかない、何か不可思議な心の粟立ちを感じた。
それはかすかな、それとはわからないほどかすかな嫉妬であり、悲しみであり、
空しさだった。慣れているはずの感情には違いなかった。私はいつも、人生に生じる
幾多のささやかなドラマの中心人物にはなれない人間だった。よくても端役、悪ければ
黒子にすぎず、ドラマは私がいてもいなくても、滞りなく進んで終焉を迎えた。
「欲望」【小池真理子】
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まるで自分のことを言い当てられているような文章に出くわす。
芝居で言えば端役や黒子でも、僕にとっては、そこが居心地が良かったのだ。
歌で言えば、バックコーラス。旋律で言えばアルト…そんな感じ。
居直り的に考える時がある。主役も脇役あっての主役なのだ。
一人芝居でもないかぎり…。
何気ない言葉や文章からでも、人の心は読み取れるものです。
書いた、話した本人が意図しなくとも、心は伝わり来るものです。
ちょっとした字句やちょっとしたトーンの中に、心は読み取れるものです。
だからといって、逆も又真なり~と行かないのがこの世の中。
そこまで言わすか…となった時には、僕は大概口をつぐむ。
何故なら、その段階ですでに心の通信線は、遮断されてしまっているから。
逆を言えば、今の世は一から十まで現実に声に出して言葉に置き換えなければ
伝わらない時代だから…。
「一を聞いて十を知る」が通用するのは、はるか遠い昔の夢物語なのだろう。
実の夫婦でさえ、実の親子でさえ…。
そう考えれば、目と目で会話が出来て、言葉なくして心が通じる【あなた】が
いるというのは、なんと幸せなことだろう。