誰もが、精神や思想の法則を求めていたし、それらを求めること自体が知的な行為と
見なされていた。曖昧な情に流されることやヒューマニズムに従うことは、軽蔑の
対象になった。建設よりも破壊、具象よりも抽象…だった。
そのくせ、多くの人間が、幼いロマンティシズムと通俗的な世界観を捨てられずにいた。
そして、その落差、自己矛盾に対して、生真面目に苦しんだ。
【小池真理子】「望みは何と訊かれたら」
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この小説の題材や状況と全く同時期に僕は生きていた。しかも、事の中身の違いこそ
あれ、類似した事柄(事件)の当事者であったわけだ。そして又、事の進行も類似して
いる。警察の扱う事件性とは違った、心的事件と言おうか、当時のの時代背景も相まって
一歩間違えば新聞沙汰にもなりかねない立場に、僕は置かれていたのだ。
【自己風刺】とは、
自分自身の欠点や弱点、特有の癖を、あえて誇張し
ユーモアや皮肉を交えて笑い飛ばす表現方法
…とあるが、なんとなくそれに近い感覚で生きてきたように思う。
…でなかったら、ここまで生きては来なかっただろう。
言葉を変えれば、いつも言うように「二人の自分」の
共存とでも言おうか…そこが互い?の緩衝材、クッション、
逃げ処なのだ。
己を如何に客観視するか…そこに答えがある。
逆にソレが出来ない人は、自爆する。もっと高じれば
他人に害を及ぼす。腹癒せというか、自爆でも止めの効かない
過大なエネルギーのために…それはそれで本人は納得かも知れないが
迷惑なのはソレを向けられた側である。かすり傷程度ならいいが
打ちどころが悪くて、内出血や捻挫でもしようものなら、どこにその
責任追及を向ければいいのだい?
○○に点ける薬はない~と言うけれど、全く傍迷惑この上ない。