優勝賞金がいくらだとか、契約金がいくらだとか……
その額の多さによって、選手の価値が判断される……この時代
貧乏人のやっかみにとられるかもしれないが、おかしな時代だな……と思う。
桁がべらぼう過ぎて、判断のしようもない。
世の中が拝金主義に犯されてしまって、どうしようもない世界だ。
スポーツ界に限らず、あらゆる分野でマネーがすべてに優先する時代だ。
そしてその羨望の先が、ほんの一握りの人物や組織だったりするのに……。
スティーブ・ジョブズの言葉ではないが、あの世に金を持って行けるわけでもない。
棺桶を札束で埋めてもらいなさい……と嫌みの言葉を発したくなるのは
僕だけだろうか?
もちろん当の本人の努力、精進を否定するものではない。
要は、その使い方、使い道の問題だ。金の亡者では成れの果ては知れている。
貯めに貯める大企業。明日に頭を抱える零細企業に個人事業主。
アメリカ・ファースト、アメリカン・ドリームに洗脳されてはいけない。
格差、貧困の憤懣の矛先は暴動となって社会を揺るがす。
それでは何の解決にもならないのに……それでしか訴えようがない……この現実。

船に乗って行く
別々のところで生まれた
別々の心の
俺という数千人が
同じ船に乗り合わせて
流れて行く
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一日一日が淡々と流れ過ぎて行くことに悔いも焦りも感じなかったが、
それでも夜が始まると、一種名状し難い空しさを覚えてしまうのである。
このまま終わって行くだろう自分の生涯に対する漠然たる焦燥感だけでは
なかった。時の流れとは無関係に、自分というものが沈滞してしかも
確実に老いて行ってることに対するやりきれなさで、それが夜の灯に
包まれていっそう切なく溢れ出て来るのだった。
「道頓堀川」 【宮本 輝】

目まぐるしく流転する世の中にあって、「自己」を保ち続けることは、かなり
至難の術である。それでも、それを持て続けなければ、世の中の黒い渦に飲み込まれて
しまう。
「人の心」は多様である。しかし、本当の意味での「良心」があれば、答えは自ずと
明快であるはずなのだが……。
なかなか客観的視点で、事を見るのは難しいようだ。
ましてや血の繋がった身内となれば、その顕れは顕著だ。
本性は現実の瞬間、瞬間に現出する。
どちらがどうというわけではない。その人個人の主観なんだから……。
分かってはいるつもりだったが、そこまでそうとは思わなかった。
今日の出来事。
文化とかいて、それに、ハニカミというルビを振ること、大賛成。私は、優、という
字を考えます。これは(すぐれる)という字で、優、良、可、なんていうし、優勝なんて
いうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう?(やさしい)とも読みます。そうして
この字をよく見ると、人偏に、(うれうる)と書いています。人を憂える、ひとの淋しさ
侘しさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間として一番優れている事
じゃないかしら、そうして、そんなやさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)で
あります。私は含羞で、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきゃ、ものも言え
ません。そんなところに『文化』の本質があると私は思います。『文化』が、もしそれ
だとしたら、それは弱くて、敗けるものです。それでよいと思います。私は自身を
『滅亡の民』だと思っています。まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学じゃない
のかしらん。文学は、いつでも『平家物語』だと思います。わが身の出世なんて考える
やつは、ばかですねえ。おちぶれるだけじゃないてすか。
【太宰 治】(河守好蔵氏への私信)

私が最も憎悪するもの……
それは【偽善】
我らの生活は
自給自足の
アナキズム風の桃源である
十歳の民主派、二十歳の共産派、三十才の純粋派、四十歳の保守派。
そうして、やはり歴史は繰り返すのだろうか。私は、歴史は繰り返しては
ならぬものだと思っている。
【太宰 治】
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※自給自足的生き方でいいんじゃないのかい?
ブラジルのアマゾンの奥深い原住民のように……
チベットの草原に生きる遊牧民のように……
アフリカの裸族のように……

社長はひとりで彼の目標を追及して、社員たちの生涯を安定せしめるほどの
仕事の意義を与えてはくれなかった。社長の重大な欠点はここにあった。
「人生画呫」【石川達三】
※器と言ってしまえばそれまでのことだが、まさしく僕の勤め人時代の社長は
そういう人だった。金の盲者と言い替えられる。辞めて行く社員に「代わりは
いくらでもいる…と言って憚らなかった。事実そういう時代でもあったのだが。
僕に言わせれば、器の小さい金の亡者だったのだ。
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人間は聡明で善良であればあるほど、他人の良さを認める。
だが愚かで意地悪であればあるほど、他人の欠点を探す。
【トルストイ】
母親似(母方似)あるいは、父親似(父方似)というのは、かなり歴然と子供に現れる
もので、容姿と言わず性格と言わず、驚くほどに出てくるものである。もちろん
双方を兼ね備えた面も無くはないが……。その事が、後に子どもたちへの接し方や
思い入れにまで影響してくることを考えると、少々話はややこしくなってくる。
僕の場合、幼くして母とは死別しているから、母に関してはほとんど、いや全く
その残像はない。そのせいもあるかも知れないが、自身はいたって無個性である。
強いて言えば……個性のないのが個性なのかも知れない。加えて……
母の溺愛を受けたとか、父の訓導を受けたとかが皆無に等しいものだから、
この家出息子たる己はまるで軟体動物のようなふにゃふにゃ人間になってしまった。
世の中の荒波に揉まれて……と言えば聞こえがいいが、生きた時代性もあり、
複雑怪奇な人間が生み出されたと言っていい。
そもそも個性的とは何ぞや?
優柔不断は熟慮断行の一面ではないのか?
……と、いささか弁解染みてくる。
その反動だろうか……父に「脱出の名人」と言わしめた少年期、青年期の
自分がいる。それはかっての詩人や小説家の一面のようでもあり
まったく無謀無知な流離い人のようでもある。
表面上、落ち着いているかに見える今日でさえ、心の奥底では、またまた性懲りもなく
脱出、放棄を画策する己がいる。もちろん夢のまた夢の話だが……。
それでも心の片隅で蠢いているのは紛れもない事実である。加えて言えば……
そのさきに自死の具体的イメージが無いだけ、極めて凡人中の凡人なのかも知れない。
いつもの台詞だが……僕はふたりの自分を生きている。
心療内科医的に自己分析すれば、その微妙なバランス感覚が、
極端な衝動的アクションの防御的役目を果たしているようだ。
己よ、君は生きている。
あぁ、生きているさ。
おまえもシッカリ生きなさい。