
「自分に正直に生きる」というけれど
これほど幅の広い言葉はない
どうかすれば、片方の誰かさんを傷つけることでもあるわけで……
その場合、正直は我欲になってしまう
人の出会いは、時に天の悪戯と思ってしまう
もっと早くあなたに逢えてたなら……
そうはいかないこの浮き世
純の塊のような小説家、詩人は、自死を選びまた心中に答えを求める
彼らからすれば、僕は臆病者なのだろうか
「上手くやれよ……俺みたいに」
世渡りの達人が皮肉の笑顔で言い放つ
何故だか……あんたの真似が出来れば、人間失格だと思う
失格者が失格のらく印を拒絶する~この皮肉
天の計らいは、恐ろしく奇怪極まりない
四分の三世紀もの時を経て、なお脳裏を離れないもの
それを記憶と言うのだろうけれど、それにしても・・・
この焼き付けられたネガはよくぞ劣化しないものだ。
染め込まれた素地は、何でできているのだろう?
恐らくは、現代医科学ではなし得ない素材なんだろう。
前置きが長くなりました。超ご無沙汰しております。
如何お過ごしでしたでしょうか?その後…と言っても、何のその後か
分からないほどの時の経過ですが……。僕はなんとか息はしていますが、
ある【ひとつ事】が終了しなければ、ピリオドを打つことができません。
ところがその【ひとつ事】がなかなかの難事で、往生しております。
人生をマイナスのままで終わらすわけにはいきません。少なくとも
ゼロ地点まで戻さなくては、負の遺産となってしまいます。この地点の
葛藤が図らずも生きるためのエネルギー源となっているのは皮肉です。
人生のツケは、他人様では返せません。どこまでも自己責任です。
「疲れたら、寄っかかればいいじゃないか」の声も聞こえてきますが、
それが出来ない、許せないのがこの僕なのです。
またお便りします。いつになるかわかりませんが……。
あなた様、どうぞお元気で!僕のためにも長生きしてください。

優勝賞金がいくらだとか、契約金がいくらだとか……
その額の多さによって、選手の価値が判断される……この時代
貧乏人のやっかみにとられるかもしれないが、おかしな時代だな……と思う。
桁がべらぼう過ぎて、判断のしようもない。
世の中が拝金主義に犯されてしまって、どうしようもない世界だ。
スポーツ界に限らず、あらゆる分野でマネーがすべてに優先する時代だ。
そしてその羨望の先が、ほんの一握りの人物や組織だったりするのに……。
スティーブ・ジョブズの言葉ではないが、あの世に金を持って行けるわけでもない。
棺桶を札束で埋めてもらいなさい……と嫌みの言葉を発したくなるのは
僕だけだろうか?
もちろん当の本人の努力、精進を否定するものではない。
要は、その使い方、使い道の問題だ。金の亡者では成れの果ては知れている。
貯めに貯める大企業。明日に頭を抱える零細企業に個人事業主。
アメリカ・ファースト、アメリカン・ドリームに洗脳されてはいけない。
格差、貧困の憤懣の矛先は暴動となって社会を揺るがす。
それでは何の解決にもならないのに……それでしか訴えようがない……この現実。


船に乗って行く
別々のところで生まれた
別々の心の
俺という数千人が
同じ船に乗り合わせて
流れて行く
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一日一日が淡々と流れ過ぎて行くことに悔いも焦りも感じなかったが、
それでも夜が始まると、一種名状し難い空しさを覚えてしまうのである。
このまま終わって行くだろう自分の生涯に対する漠然たる焦燥感だけでは
なかった。時の流れとは無関係に、自分というものが沈滞してしかも
確実に老いて行ってることに対するやりきれなさで、それが夜の灯に
包まれていっそう切なく溢れ出て来るのだった。
「道頓堀川」 【宮本 輝】

目まぐるしく流転する世の中にあって、「自己」を保ち続けることは、かなり
至難の術である。それでも、それを持て続けなければ、世の中の黒い渦に飲み込まれて
しまう。
「人の心」は多様である。しかし、本当の意味での「良心」があれば、答えは自ずと
明快であるはずなのだが……。
なかなか客観的視点で、事を見るのは難しいようだ。
ましてや血の繋がった身内となれば、その顕れは顕著だ。
本性は現実の瞬間、瞬間に現出する。
どちらがどうというわけではない。その人個人の主観なんだから……。
分かってはいるつもりだったが、そこまでそうとは思わなかった。
今日の出来事。