大過なく順風満帆の人生は、それはそれで素晴らしいことなんだが、
一方で、それは味気なくつまらない人生とも言える。逆を言えば、
山あり谷ありの人生のほうが、生きる醍醐味があるとも言える。
それらはすべて、様々な難関窮地を乗り越えた上での感慨なのだが。
もちろんそれぞれの時代背景もあるだろう。
「大正は良かった」「大正ロマン」なんていう言葉もよく聞いたものだ。
激動の昭和を懐かしむ人も多いかも知れない。
それに比べて、平成、令和の時代感覚は稀薄だ。
これもまた、自分の年齢とも絡み合った感慨かも知れない。
元号の変更は天皇の崩御に伴うものだから、ある意味時代感覚が鮮明に甦る。
その意味から言えば、昭和は戦争を体験した人と戦争を知らない世代とのギャップは
あまりにも大きい。その狭間に生きた人は、世の中の仕組みが百八十度転換した
わけだから。
今日の当たり前は、一昔前の希少価値だった。
今日の人たちが半世紀でもタイムスリップしたら、おそらく生きて行けないだろう。
地球規模の文明の栄衰は、歴史が鮮明に物語っている。
今日の英雄が、強者が、近未来に何と呼ばれる存在か分かりはしない。
♪あゝ 時代は 僕らに 雨を降らしてる…………

ついエゴサーチしてしまう。
……と言っても、僕の場合、閲覧者とその数だけなんだが……
意外と海外の人がいらっしゃる。閲覧時間もそれを証明している。
人はどんなきっかけでこんな出会いを得るのだろう?
逆を考えた時、その慎重さに苦笑いをしたくなる。
過去の手痛い仕返しのトラウマだろうか?
賛同者もいれば敵対する人もいる。時に激しく攻撃してくる人もいる。
そして、コマーシャルの絶好の場と考えている人もいる。
そこで勢い、シャットアウトとせざるを得ないのだが……
独り善がりではダメなのも分かってはいるが、
そっとしておいてくれ……の思いの方が勝る。

僕はグダグダ話~容認派です。
もちろん一つのテーマを掲げてのソレも否定はしませんが……
その場に酒があれば、なお良し。
とかくそういう場は、何のまとまりもないままで終わってしまいがちですが、
僕はそのなんてこと無いグダグダの中に、キラリと光る玉を見つけることがあるのです。
その時は、独り心中で乾杯をしてしまいます。
「つい酒の勢いで……」とか「心にも無いことを……」と言う人がありますが、
むしろそれは逆で、ソレこそが本心なのです。
「覆水盆に返らず」
それにプラス……
直接そのある事に言及していなくても、声のトーンとか、強弱とか、目の動きとかの
中に、真実性や虚偽性を見つけることも愉快なのです。
ひとの心も体と一緒で、結局は透かし見られてしまうものなのです。

ありとあらゆる種類の革命があらゆる名のもとにおこなわれてきたが、どんな革命もついに改変できなかった一つの秩序がある。それは社会の上.中.下という秩序である。上は頑冥さによって生命を失い、中によってひっくりかえされ、中は下の人びとを一時は味方につけると称しておいて行動を起こしながら、一度政権をにぎれば、たちまち昨日の主たる同盟者である下の人間に君臨し、それを支配する。これが革命の原則である。
人は一つの状態に達すればさらに深く、広く、高い状態を求めようとせずにらはいられず、どんな氷原、あるいは灼熱のごとき教義の氾濫のさなかにあっても、けっし満足するということを知らないのではあるまいか。それを抑圧するのは人民を裏切ることである。
いずれの社会にも上.中.下が存在し、肥った中者は上者となって、新しきやせた中者、また下者に君臨している。
自由人の条件 【開高 健】

ひとを愛するということは自分を愛するということから始めなくてはならないのだ。
ひとを愛するということは自分を愛するということなのだ。自分を愛することができない
者がどうしてひとを愛することができようか。ひとを真に愛する者は、自分を真に愛する
者なのだ。
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涙は、いつか私の頬を伝わり、それは忽ち冬の風に冷えて私の頬を冷たく流れた。涙は
熱いものであるはずだのにこの私だけは冷たい涙を流しているかのようであった。そして
冷たい涙はとめどなく溢れてくるのであった。
「胸より胸に」 【高見 順】
