黒の中の真っ黒を意識したのは二十歳の頃だったか。
それは僕の安アパートに潜り込んできたアキラ君のイメージだった。
なにせ着ているものは、上から下まで黒づくめの彼だった。
それに加えてほとんど言葉を発せず、唯一「チッ」と言うのが彼の癖だった。
ショートホープと使い込んだジッポのライターが自慢だった。
セブンスターでもハイライトでもないところが彼のこだわりだった。
ローリングストーンズのミックジャガーを好み、ヘアスタイルも酷似させていた。
器用に裁縫ができ、ジーパンを自分好みに加工していた。反対に僕は…
彼の対極にいて、どこにでもころがっている名もなき石ころみたいなものだった。
当時の拙い詩集の中に「黒い宿り木」という詩がある。
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黒い宿り木
きみはどこでどう 俺を見間違えたのだ
もう5年も 光を拒否し
暗闇の中に 溶け込んでしまおうかという俺なのに
この真っ暗やみでも きみは 俺が見えるというのかい
ほんとうに へばりついてきた
共倒れだぜ この野郎…
死滅したはずの過去が 巨大な水滴となって
砂漠と化していた 俺の瞳を濡らした
ただの黒と思っていたのに その中に
俺は 強い 生きた黒を 見た
澱んでいた色彩が 黒いメロディーを 奏で
やがて 混沌の心臓そのもののように
きょうれつなビートで 枹が おどりだした
慈愛に 充ちあふれた 無知なる男
回生の魔力をもった 神業師くん
きみは 黒い宿り木よ

地球にはさまざまな美眺があるが、澄み渡った春の初めの青空に、真っ白な翼をひろげたハクチョウの(渡り)はかなり上等な美眺のひとつであろう。
タンチョウヅルは(渡り)が近づくと、日本で生まれ育てた子供のツルに対して、
「もうそばに来てはイケナイ。離れなさい」
と鋭く鳴いて追い払うのを知った。
【別れの鳴き】と呼ぶらしい。
その様子をテレビで見たのだが、昨日までのように親にすがろうとする子供を、鋭く鳴いて追い払う。その時の子供の戸惑うような目がなんとも切なかったが、しばらく見ているうち、これが生きるという行為で、親がそうするのは、彼らが今日まで生き延びているすべてなのだとわかった。
見ていて切なくなる子供の、救いを求めるような眼差しは、人間社会でいえば、可哀相だ、になるのだが、ツルは平然とそれをする。
そうしなければ生きていけないのだ。それが生きるということなのである。
以前、出版した本に「別れる力」というタイトルの本があったが、そこで母馬と子馬が別れるシーンを書いた。
姿が見えなくなった母馬を呼んで子馬は一晩中いななき続ける。
可哀相な声という人もあるが、立派な馬に育てるには必要なものであり、大きく、哀しくいなないた馬の方が立派に育つらしい。
そう考えると、今、一番ダメなのは、やはり人間だろう。
この頃、子供に対しても、ましてや可愛いと思う孫に対しても、厳しく接する親、祖父母が少なくなった。
【伊集院 静】