世の中の裏側(側面)
その世界で脚光を浴びる主人公の裏で
その主体を支える人がいる
彼はその世界では有名なボーカリスト
彼女は、彼の妻
僕は地方出身の田舎者そしてプー太郎
そのふたりが英会話教室で出会った
夫は華やかな世界の寵児
僕は名も無きやさぐれ男
華やかな主人とその彼を支える英会話教室の彼女
僕は知らなかった……何もかも……
先生は優しかった……そして厳しかった
優等生揃いの教室の中で、浮きに浮いた存在の僕を
優しく、温かく……掬い上げてくれた
当然の流れのように、プライベートレッスンへと進行していった
いわば僕は根っからの田舎者
彼女から見れば、磨き甲斐のある原石と映ったのかも知れない
僕は自らを知らなさ過ぎた
客観視能力も無かった……子供だったのだ
性の誘惑にも気付かず………
彼女の涙の理由にも気付かず……
でも……それで良かったという結末にも気付かず……
すべては彼女が、オトナだった
でも、今にして思う……
自分の中の宝物は、この己自身なのだと。
言わず語らずの内に、心通うひとにしかわかり得ないことです。
多くの小説家たちがそれぞれの作品の中で書き記してきたように
人の心は複雑極まりない世界です。
小宇宙とでも言える世界でしょう。
いつも言うことですが、僕の中には二人の自分が存在しています。
右と左とまでは言わなくても、対極の自分がいるわけです。
ふたりは闘っています。壮絶すぎるとまで言えます。
それほどに闘っているのです。
厳しい自分 VS 甘い(心広い)自分
激しい自分 VS 穏やかな自分
どっちもが自分なのだろうが、どっちもが自分でないような……
それを客観的視点から言えば、葛藤と言うのだろうが
その一言で片付けて欲しくない自分がいる。
人様の価値観は多様だ。多様過ぎる。
いつも言うことだけれど……
解ってくれる人は……唯一人でいい。
「橋の下を たくさんの水が 流れました」
(その後いろいろなことがありました)
そういう会話(文通)ができる人は、そう多くは居ない。
あぁ……いろいろあったんだろうなぁ……というイメージが湧きあがる。
久しく…というより、まったく手紙というものを書かなくなった。
あのなんとも言えない手紙の味を、忘れてはいけないと思う。
選りすぎた言葉たちや、洗練されたペンのタッチや……
それぞれにそれぞれの味があり、香りがある。
直接表現でなくても、愛を感じることができるし、伝えることもできる。
「輝ける闇」と言ったのは誰だったか?
何でも見えるが何も見えない……
すべてがわかっていながら、何もわかっていない……
一切が完備しながら、すべてがまやかしのようでもある。
何でもあるが、何にもない。
つくづく思うことがある……
「あんなに人生がわかってしまってはつまらないでしょう……」
「内柔 外剛」~「外柔 内剛」
フィクションの世界に己を預けられる人は、まだ幸せ者と言える。
お決まりのコースとして、大方は「自死」を選択する。
「言葉は影であると同時に、実体でもある。」
【中島 敦】
「言葉は陽炎であり、肉である」
「傑作か駄作は分からないが、人生は作品だ」
【開高 健】
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さて、僕は何をやっているのでしょう?
徒労、無益、無駄……
言葉の海に溺れかけているのでしようか?
それでなくても金槌で泳げないのに……
究極の趣味は【石】だと言われます。
堅固で、腐らないし、膿も汗も滲まない。
いつもそこに同じ質と光沢をおびている。
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石
雨に濡れて。
独り。
石がいる。
億年を蔵して。
にぶいひかりの。
もやのなかに。
【草野心平】
※実家の玄関を入ってすぐの壁に、この詩の額が
掲げられていた。国語教師、そして書道家らしい父独特の
創作文字で。その中に言葉と文字の一体化を感じた僕だった。

そもそも「結婚」とは何だ?
「夫婦」とは何だ?
と、今更ながら考える時がある。
その所以は、読み漁る(まさに!)本たちの中に炙り出されてくる。
一方で、何人もの離縁者(夫婦わかれ)を身近に抱いている。
それを実行に移す年齢にも関わることなのだろうが、概して
女性の側の方が積極的(?)、能動的である。
天秤のかけ具合…と言ってしまえば、それまでのことだが、
概して……女は強い!
表向き(社会的に)夫婦の形態を保っていても、心はもはや離反、自立している
女性たちは、僕の身近に存在している。あの人もこの人も……。
経済力の問題を外せば、その率は何増倍にも膨らむだろう。
概して……女性は強い!それは称賛に値する。
僕は作家でもないし、評論家でもないが、そこらの心理変化には敏感なつもりだ。
僕なりの結論!
常に一緒にいる存在よりも、ごく稀に会う存在の方が、はるかに刺激的である。