気が付けば横に居た貴女に
母を見た気がした
それほどに
優しく和やかな空気だった
その空気を大切に吸い込んで
僕は眼差しで
答えを返した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪心の中に傘をさして
裸足で歩いている自分が見える
人の言葉が
右の耳から左に耳へと通り過ぎる
それ程頭の中はからっぽになっちまってる
今日は何故か穏やかで
知らん顔してる自分が見える
心の避難場所を持ちなさい
防空壕を持ちなさい
・・・でないと
心が破裂しちゃいますよ
死にますよ
たくさん見てきたでしょう
死なないまでも
引きこもりになっちゃいますよ
良かったですね
「此処」が有って
僕独りなら
トコトン落ちてやれ
という自分がいる
けれども
家族がいる
さてそこでどう生きるのか
いつもの悪癖さ
二人の自分を生きようとする
しかし・・・しかし・・・
その二人の自分のバランスが厳しいのだ
「アンバランスもバランスの一種です」
と言ったのはだれでしたっけ?
成長のための試練とか
心の肥やしとか言うけれど
それはうんと後から言えることで
その時の・・・
当事者の僕には
悲しみと絶望しか無かったさ
そこから根付いたピエロ性は
生きるための最小限の鎧だったのかも知れない
♪俺を見捨てた女を
恨んで生きるより
幼い心に秘めた
むなしい涙の捨て場所を
探してみたい
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で
あれは僕が二十歳の頃だったろうか。
父が一冊の本を手渡した。
土居健郎著の「甘えの構造」
父は何を言いたかったのだろう?
何を伝えたかったのだろう?
己の懴悔か?子への忠告か?
詰まるところ、いわゆる「甘え」とは
現実的にまた必然的に縁切りさせられたが
父もそして僕もが内在的に持っている本質的な「甘え」とは、
一生付き合わされる羽目に陥った。
それは親子の遺伝的とも言える部分であり、そして
宿命的とも言える心の・・・魂の・・・問題なのかもしれない。
文明の利器たる携帯電話も、今やしごく当然の日用品となり、ボールペンや
ハンカチ等と同じように、無造作にカバンやポケットの中にある。
着信音であれ、バイブであれ、それらさえもが日常化して、今日のこの日を
仕切っている。
僕は突然カベに向って投げつけたい衝動に駆られる。
まるで・・・
時を止めてしまいたい!・・・とでも言うように。
しっかりと
じっくりと
自分と向き合う
自分に語りかけ
自分と論を戦わす
出てきた・・・
煮詰まった・・・
その答えに
僕は従う
それこそが「己」だから
友として
共通項に思いあたる
ふと・・・
寂しげな表情を見せる
ほんの一瞬
僕にはわかる
その因が何なのか
あなたがS極なのかN極なのか
僕がどうなのか
それはどうだっていい
とにかく
引き寄せ合う何かがある
負け犬の遠吠えと
言い放ったのはアナタではあるが
何に負けたというのでしょうか
この落伍者めと
蔑んだのもアナタではあるが
何から落ちたというのでしょうか
土俵がちがう
生き場所がちがう
僕は音量をゼロにする