何度も読んでみると、
身体の奥に、詩の一節が
染み込むように入る時がある
私は若い頃、教師にこう教わった。
「良い本、良い小説は、一度読み終えてから、十年後、二十年後に読んでみると、
初めて読んだ時には発見できなかったものを見つけることができる」
人が生涯で何度か読んだ小説は、やはり良い小説なのだろう。
詩集などはその典型で、何度も読んでみると、ある時、身体の奥に、
詩の一節が染み込むように入る時がある。
それは友人との再会に似て、人も書も、接する側の成長によって見え方、
読み方が違うからかもしれない。
【伊集院 静】
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まさにそれを実体験してる。もうあの本は読んだ…と、本棚で埃を被った本たちを
引っ張り出して、読み直している。するとたしかに
「あれ、この本こんな内容だったっけ」となることのなんと多いことか。
いいも悪いも、楽しみも苦しみも、経験が心を感性を成長させているのだろう。
百科事典に、本棚のスペースを占領させておいてはいけない。
堕獄論を展開するか、成仏論を展開するか、
これは大いに意見の分かれるところである。
言い換えれば…
恐怖心を煽るか、安心感を付与するか…であろう。
僕的に言わせてもらえば…
比重のかけ具合の問題だと思う。
どちらにしても100 VS 0 はありえない。
僕なら…60%寂光参詣 40%堕地獄 のスタンスだ。
全賛成でもなければ全否定でもない。
己の在り方次第で、どちらにも転ぶというスタンスだ。
僕は導者ではないから、偉そうに断定的たことは言えないが
そういうスタンスだ。
ただ、このな考え方には、どっち付かずの「優柔不断」の批判が
付きまとう。だからと言って、やはり断定的論法は僕には出来ない。
育児方法に置き換えてみれば、「アレをしちゃダメ、コレもしちゃダメ」よりは
「こうしてみたら?ああしてみたら?」のスタンスなのだ。
それでもやはり「生ぬるい」の批判を受けるだろうな。
でもなんと言われようが、それが僕の世界観。
なぜ「背景の記憶338」を書いたか?
向田邦子の「阿修羅のごとく」を読んだからである。
僕は作中の興信所の人間でも不倫の当事者でもないが、そんな事実がそこら中に
蔓延しているからこそ、小説にもなるわけで…
いや、それ以上に(事実は小説より奇なり)で、僕は何をやっているのだろう?…と
ひとしきり考えてみたわけだ。
やはり問題として浮かび上がってくるのは、「時代性」だろう。
耐える女の時代、我慢する女の時代、そこに生まれる男女の悲喜劇…
今なら、即離婚、即再婚…なんとも激しすぎるこの対比…
作中にも出てくるが、(人の心の見える望遠鏡)を発明してくれ…と言いたくなる。
K子は二十歳にしてT家の長男の嫁となり、懸命に仕え、かいがいしく家庭を守り続けた。
しかし主人の親の死去に伴い、噴出してきた遺産相続の争いに巻き込まれた。
嫁の立場の彼女は、ただ離れた場所からその成り行きを見守るしかなかった。
結果、父母の面倒など何もしなかった夫の兄弟姉妹たちが、当然の権利とばかりに
財産を奪い去って行った。
そこへ追い討ちをかけるように、夫の不倫が発覚した。当然ながら夫を問い詰めたが、
逆に開き直りの反応しかなかった。K子は絶望した。何のためのこれまでの人生だった
のか?と。
堪らなくなったK子は家を出て、ホテルに逃げ込んだ。そうでもしなければ、自分が
壊れてしまうと思った。ホテルで暮らした数日後、絶望の中でもわずかな落ち着きを
取り戻したK子は、心に浮かんだA夫にメールを送った。「話を聴いてください」
切実な願いだった。
【ソウルメイト】とは、血縁ではなく魂のつながりで、過去世で何度も
関係のあった人、あるいは親子や兄弟、恋人、あるいはその人生で
大きな影響を与えた他人など、輪廻の世界で関わってきた強い絆の人です。
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そう感じる人は、たしかに居るものです。
まさしくソウルのつながりであり、言葉を必要としません。
でも…これはプラスの関係だけではありません。
過去世の恨みを今生で晴らす…という残酷な世界もあるのです。
子が親を…親が子を…殺めるという残酷極まりない世界もあるのです。
そんなニュースを見聞きする度に、そんな連想をしてしまう僕です。