批判を覚悟で言ってみれば
〈アホの長生き 娑婆塞ぎ〉
痴呆の人がこれだけ蔓延してくると
老々介護どころか、孫が祖父母の介護をするという話も多々聞くわけで
もちろんそれぞれの立場としての責任や良心は理解できる
美談として耳に入ることも珍しくない
それなりの施設に預けられる家庭は幸せの部類だろう
問題はそれが出来ない環境にある家庭だ
いよいよ極まって、事件となる例も珍しくない
これは僕なりの空想(妄想)だが……
いつか此処で書いた〈象〉のように
死期を悟ったら……独り静かに群れ(家庭)を離れる存在でありたい
ところが人間様には、それが赦されない……悲しいかな
アフリカのサバンナで生きてるわけじゃないんだから
植村直己氏的なのも良し(彼は死にに行ったわけではないが)
いずれにしてもボケてしまってからでは、それも夢のまた夢というわけだ
皮肉ではなくて〈アホの長生き 娑婆塞ぎ〉になってしまう
その反面、幼子のように可愛らしくなって逝ったおばあちゃんも知っている
死に方の手本のような人だった
死は誰にでも必ずやってくる
「私は誰? あなたは誰?」とならないような現実を生きなくてはならない
〖臨終のことを前に習ひて 後に他事を学ぶべし〗
広津さんから聞く話はいつも何かしらその種のおっとりとしたものばかりだった。
"闘争"とか"鮮烈"、また"秋霜烈日"、"きびしい"、"不惜身命"、"この道一筋"、
"ギリギリ"などなど、日本人の大好きな硬直.玉砕美学の言葉が匂わせるようなものは
どこにも感じられなかった。そのことに私はおどろき、眼を瞪った。
広津さんが私にあたえた最大の印象は、おっとりと、しかし徹底して執拗に持続する
実践の人ということだった。その武器は実証と常識である。正真正銘、広津さんは
行動人であった。けれど明治以来の日本の知識人が〖行動〗という言葉で連想するのは
闇に散る花火の悲愴であった。…………不渡り手形の思想家………
【開高健】
