横田先生は、僕が叔父の仕事の手伝いで、郷里・隠岐島で仕事をしていた時に巡り合った大先生だった。父が近くの村の中学校の校長をしていた頃の繋がりだと記憶している。
先生の住んでおられた小さな漁村の防波堤工事に行ったわけだが、仕事休みの日に御宅へお邪魔した時に、この「ともる-隠岐の四季ー」の本をいただいた。
二十歳そこそこの若造に、優しく穏やかに接してくださった。大自然の中で悠々と生きておられる先生を、その時にはそれほどの実感を持てなかった自分が恥ずかしい。
高校時代、精神的に病んでいたころの話。僕はある宗教施設から登校していたのだが、まったく授業に集中できず、徐々に校門をくぐることが億劫になっていった。
そんな時は、学校の近くにある叔父の家に避難(?)した。叔父叔母はもちろん仕事で留守、祖母が一人でいた。祖母は不登校のことは一言も責めずに迎え入れてくれた。これは救いだった。
祖母はいつものように「あきお、カルタしょうや」と僕を誘った。花札である。
「手七の場六」と言って始めた。祖母は形勢が悪くなると、いつもイカさまをした。僕にはそれが分かるのだが、そのまま続けて「あ〜、また負けてしまった〜」と下手な演技をした。
しかし、いま思えば、祖母はいろいろ慮ってそんなフリをしたのではないかと思う。もしあの避難場所がなかったら、僕の人生はどう転んでいたか分からない。