明日は母の命日。
父曰、「九月一日は、防災の日ならぬ亡妻の日である」
僕の誕生日が今日〜八月三十一日だから僕の満三歳の誕生日の明くる日に
母は亡くなった。
これまた父曰「最愛の末息子の三歳の誕生日まではと懸命に生き抜いて、まるで
それを見届けて安心したかのように逝った」
そしてまた父曰、「三つ子の魂、百まで・・・が本当なら、せめて母の最後を
見届けさせようと、抱きかかえて柩の前に立った」
まさしくその行為は大きな事実を残し、僕の脳裏には柩の中の白装束の母の姿が
鮮明に焼き付けられている。父のその行為が無ければ、僕の記憶の中には母の姿が
まったく残らなかったと言うことになる。
母、恋いし・・・そして懺悔・・・
生誕まで一カ月も胎内に留まって、母の寿命を縮めた僕・・・
亡母の命日の前夜の誕生日・・・
夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に、夢なき者に成功なし
吉田松陰
月にかかる松の枝葉のように
快晴の空の一片の雲のように
メインボーカルの横のバックコーラスのように
映画の中の渋い脇役のように
僕は
そんな存在でありたい
「君君たらずといえども、臣臣たらざるべからず」
さて、この諺…現代に於いても通用するのだろうか?
どんな暴君であっても…
どんなにひどい言動であっても…
大いに葛藤を生む諺だ
ケースバイケースと考えるのは、この趣旨に反するのだろうか?
感情の爆発
抑制より先に、手が出てしまう、物が飛ぶ
これって一般社会なら、パワハラそのもの
懲戒解雇でしょう
それと分かっていて、やってしまう確信犯
被害届を出しましょう
取り返しのつかないことが起こる前に
地位の高さをいいことに、言い放題にやり放題
「あなたは何故動かない?」
痛烈なメッセージが届く
保身か?意気地無しか?どっちの味方か?
その前に、片付けておく事がある
それからの、僕の捨て身の宣戦布告
組織の長たらん者、陰陽問わず研鑽を重ねるべし。
組織を前にして、不勉強を晒すことなかれ。
カウンターパンチを喰らって、狼狽えることなかれ。
不勉強、不研鑽を恥じよ。
強圧的言動で誤魔化すことなかれ。
若い人に接すれば
自分も若くなった気がする
誰ですか?
精気が奪われるって言ったのは?
いや、確かにそうかもしれないな
事実、力が漲るよ
よく年齢を聞かれる
正確には答えないようにしている
あなたが見た年齢でオッケー
バレるのは、孫の宿題を手伝った時😃
先生が「今はそんな解き方はしません!」ってさ💧
※孫の夏休みの宿題のカラーコピー係
大方は、他人のことは見えても、自分自身のことは見えないものだ。
だから、「あなたは○○だ」と言っても、「あなたこそ××だ」と言い返される。
しかし、しかし・・・
だからと言って、口を噤んでしまっては義に反する。
お互いに、耳の痛いことを言い合う・・・それでこそ真の友と言うものだ。
大人社会は、往々にして他人のことは見て見ぬふりをする。
そして陰でまさしく陰口を言う。
噂には必ずと言っていいくらい、尾ひれが付いて本質から外れる。
しかし、しかし・・・
一度貼られたレッテルは、なかなか簡単には剥せない。
有名人、芸能人のそれを見れば、歴然としたことではないか。
ハッキリもの申す人が、世の喝采を浴びたかと思えば、一気に葬り去られる
事は日常茶飯事だ。身から出た錆と言ってしまえばそれまでだが・・・
気骨とは何か?正義とは何か?はたまた愛とは何か?
あまりにも抽象的、観念的すぎるが、僕的には
「天に恥じない人間でありたい」
最低限の体裁を構わなくなったら
おしまいだな
頭髪の整え 清潔な服装 言葉の選択
大人社会は
そんなことは言ってはくれない
自己観察力を失ったら
理想的到達点か最悪到達点かのどちらかだ
悲しみや寂しさは、文字通り悲しく寂しいことではあるが、その心の揺れが、言葉の持つイメージに反して、己を勇気付け励ましてくれたりすることがある。僕のこれまでの人生の三分の一、つまり25才までが、言わば悲しみの連続だった。
実母との別れは、記憶の半ページにしか刻まれてはいないけれども、直接的な悲しみと言うよりも、漠然とした喪失感と言ったほうが適切かもしれない。本来、その愛情によって育まれるべき本質的な部分が、見事なまでに欠け落ちた変形してしまった心は、脆く弱い半面、突出した部分では、異常なまでの忍耐力と決断力を発揮した。それは傍目からすれば、病的な精神や行動の異常と映ったであろうが、本人的には、至極大真面目だったのである。
人生の初めに突出した出来事が生じてしまうと、それから後の人生は、つけ足しとまでは言わなくとも、どこか他人の人生を歩んでいるような、そしてもう一人の自分即ち本物の自分は、あたかも空の上から、もう一人の自分を見つめているような不思議な精神を構築していったのです。
兄は、僕と10も年が違うから、母の死の衝撃度は尋常ではなくて、多感な時期故の自殺と言う選択肢しか見つけられなかったのだろうけど、それを単に意思が弱いとか、心の強さが足らないとか、第三者的見解には、弟としてと言うより、人間的に怒りを覚える。僕が兄と逆転した立場なら、僕も同じ道を歩んでいたはずだ。
兄は、高校時代に「自画像」という作文を残している。見事なまでに己を客観視して見切っている。ある意味、僕と同じ精神状態にあったのかもしれない。彼に大きく開かれた母の心のぬくもりが有ったなら、彼の人生は、明るく希望に溢れた素晴らしいものとなったはずだ。
兄も僕も、表だった言い訳は一切しない。父や親戚を責め倒すこともしない。全てを己で受け止め、己のなかで爆死したのだ。