ああ、分かっているさ
過去には何の生産性もないことくらい
でも、ちょっと言わせてくれ
過去に元気づけられることだってあるんだよ
過去の人に
過去の出来事に
勇気を蘇らせることだってあるんだよ
だってそうだろう
今だけと語る君だって
過去の努力や乗り越えた苦難があったからこそ
今の自分が居るんだろう?
違うかい?
しかし、そう言い切る自分も
実は自分の中では
過去の出来事や過去の人たちとに交わりを
今の自分に津語良く脚色しているのかもしれないね
それでもいいじゃないか
と居直る自分がいる
ボケが始まってからでは遅い。
第一、ボケてしまったら、自分を客観視出来ない。
だから指摘されれば、
「わたしはボケてない!」と言い張る。
むやみに叱ってはいけない~とも言う。
介護施設の暴力問題があるように、
小単位の一家庭でも起こり得る。
ボケた者同士なら尚更のことだ。
余裕を持って見守る、介護するというのは綺麗事だ。
ちょっと方向を間違えれば、暴力沙汰が待っている。
仕事で伺う老人宅でも、
危険度満載が伺える。
さて、自分はどうだ?
家内はどうだ?
我が家はどうだ?