地図を見るのは楽しいですね。
ホントは・・・地球儀で見るのがいちばんイイのでしょうが・・・
意外と、国名と場所が一致しないことも多々あります。
「あれっ、ボリビアってこんな位置だったっけ?」みたいな・・・
カムチャツカ半島は本州よりも面積は広い〜とか
グリーンランドはオーストラリアよりもはるかに小さい〜とか
(表示方法で無茶苦茶大きく描かれているんだけど)
それに、あの小国デンマーク領〜とか
氷河だらけなのに、なんでグリーンなんだ?〜とか
韓国からすれば、日本海は東海である〜とか
あの竹島は、わが故郷(島根県隠岐島町)の一部だが
うんと離れていて、微妙な距離に位置している。
普通の世界地図では、イギリスとアメリカは右と左の両極にあるけど
よく考えれば大西洋を挟んだ向かい同士の国だからね。
イギリスとフランスはほんと近い(トンネルができるわけだ)。
さて・・・日本だが、誰しも自国を中心に考えるものだ。しかしどう考えても
アジアの端っこの小さい島だもんな。
その逆で、大陸のなんと広大なこと!
草原の遊牧民・・・イメージは広がり夢に誘う。
楽しいことばかりではないないな・・・
侵略・戦争の繰り返しの結果としての国境
現実の地上にも海上にも、そのラインはないのに・・・。
それに・・・
生産をしている人はほんのわずかで、あとは遊んでいる人の時代が来る。
女の人には、お嫁に行って子供を産んで育てるといった、いわば永遠の仕事がありますが、男の人の中には、どうやって世の中を過ごせばいいのか、わからなくなっている人がかなりいるのではないでしょうか。
そういう世の中になりつつあり、しかも若い人には覚悟がないようです。自分が何をするのか覚悟がないうちに、世の中の方は動いていく。とりとめのない若さを持ったまま、とりとめなく生きていく。
そういう青年たちが出てくる社会は、かつてわれわれが経験した社会ではありません。これからの社会は、ほんの少数の優れた人たちだけがつくりあげていく社会になっていく恐れがあるようです。
おまえたちは大きくなると大変な時代を迎えることになるぞ。おれたちはおれたちなりの不幸があったけれど、おまえたちはおれたちが経験しなかった苦労をするだろう。そういう時代におまえたちは生きていく。
われわれが思っているような、社会はこうだ、経済はこうだという感覚は、全部通用しなくなった。これからはもっと通用しなくなるだろう。
精魂込めて自分を建設しろ。ビルを建設するように自分を建設する以外に、生きていく道はない。
(「司馬遼太郎が語る日本」〜もう30年前の言葉だ。言い当てているな。)