生まれ故郷の村には、同世代で「あきちゃん」がたくさん居ました。
みんな「あきちゃん」なので、必ず屋号を付けて呼びました。
新屋のあきちゃん、常盤屋のあきちゃん、真野のあきちゃん、そして
僕が新宅のあきちゃん。
結婚の何たるかもわかっていないのに、
「結婚したら、ややこしいなぁ」なんて言い合っていました。
僕の命名の言われが、「子供にはもう飽きた。だから・・・」
と聴かされた時には、冗談だとは分かっていても、腹が立ちました。
命名にも流行りがあるようですが、どうも最近の名前には共感できません。
漢字一つの重みと言うか、深さと言うか・・・
それを吟味した命名であるべきだと考えます。
因みに、子供たちや孫たちの名前は・・・
「浩」「俊(すぐる)」「祐子」
「翔(かける)」「愛(まな)」「昂(のぼる)」
悲嘆の先にあるものを見つけに行こう
目の前の野山は永遠に続くわけじゃない
登って・・・下りて・・・
登って・・・下りて・・・
晩の泊りの岩陰で
あなたに出逢った夢を見た
あなたは病に臥せっていたのだろうか
声をかけるには躊躇した
遠い山端の薄明りの中に
あなたの寝顔は消えて行った
♪just like a boy・・・
♪痩せこけた頬のままで・・・
思わず浮かんだ歌詞とともに
僕は立ち上がり、歩き始めた
誰も 独りじゃない
どんなに滅入っても 立ち直れる
絶望の淵からでも・・・
あなたも 独りじゃない
だから
僕も
独りじゃない
極まれば 光が見える
瞑目の中に 光明が射しこむ
こころ・・・静態にして
心眼・・・鋭く
黄、紅の絨毯の上で
僕は・・・
心地よく疲れた体を横たえる
悲観的に、全面的に、絶望的に、自己責任として受け止めるのではなく
反省と超第三者的に、己を注視すれば、自ずと答えは浮かび上がってくる。
改良の余地は残されている。
其処が救いだ。
じ〜っと溜め込んで、溜め込んで・・・
ひたすら己を注視して、注視して・・・
見出した一点を改める!
そうさ!そこが突破口さ!