「Truth is stranger than ficthon」(マーク・トウエイン)
最近、どういうわけか<涙もの>に触れる機会が多い。
感動的な話は、名もなき人たちのささやかな生活の中にあることを思い知らさ
れる。そしてそれらの実話の中に、学ぶべきこと、見習うべきことの如何に多
いことか。
『名もなく貧しく美しく』の現代版は、あそこにもここにも・・・
目の向けどころを考え直そう。
心の接しどころを見つめ直そう。
ジャーナリストで、作家でもある大谷昭宏さんが、読売新聞の記者をされていた頃「窓」という欄を担当しておられた。その欄にこんな内容の記事が載りました。
広島の女子高生のA子ちゃんは生まれた後の小児麻痺が原因で足が悪くて、平らなところでもドタンバタンと大きな音をたてて歩きます。
この高校では毎年7月になると、プールの解禁日にあわせて、クラス対抗リレー大会が開かれます。一クラスから男女二人ずつ四人の選手を出して、一人が二十五メートル泳いで競争します。この高校は生徒の自主性を非常に尊重し、生徒たちだけで自由にやるという水泳大会で、その年も、各クラスで選手を決めることになりました。
A子ちゃんのクラスでは男二人、女一人は決まったのですが、残る一人が決まらなかった。そこで、早く帰りたくてしょうがないそのクラスのいじめっ子が、「A子はこの三年間体育祭にも出ていない。何もクラスのことをしていないじゃないか。三年の最後なんだから、A子に泳いでもらったらいいじゃないか」と意地の悪いことを言いました。
A子ちゃんは誰かが味方してくれるだろうと思いましたが、女の子が言えば自分が泳がなければならないし、男の子が言えばいじめっ子のグループからいじめられることになり、誰も味方してくれませんでした。結局そのまま泳げないA子ちゃんが選手に決まりました。
家に帰りA子ちゃんは、お母さんに泣いて相談しました。ところが、いつもはやさしいお母さんですが、この日ばかりは違いました。「お前は、来年大学に行かずに就職するって言ってるけど、課長うさんとか係長さんからお前が出来ない仕事を言われたら、今度はお母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないでください』と言いに行くの?たまには、そこまで言われたら『いいわ、私、泳いでやる、言っとくけど、うちのクラスは今年は全校でビリよ』と、三年間で一回くらい言い返してきたらどうなの」とものすごく怒りました。
A子ちゃんは泣きながら、二十五メートルを歩く決心をし、そのことをお母さんに告げようとしてびっくりしました。仏間でお母さんが髪を振り乱し、「A子を強い子にしてください」と必死に仏壇に向って祈っておられた。
水泳大会の日、水中を歩くA子ちゃんを見て、まわりから、わあわあと奇声や笑い声が聞こえてきます。彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時でした。一人の男の人が背広を着たままプールに飛び込みA子ちゃんの横を一緒に歩き始めた。それは、この高校の校長先生だったのです。「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるからゴルまで歩きなさい。はずかしいことじゃない。自分の足で歩きなさい」と励まされた。
一瞬にして奇声や笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援し始めた。長い時間をかけて彼女が二十五メートルを歩き終わった時、友達も先生も、そしてあのいじめっ子グループもみんな泣いていました。
失恋は多いほど肥しになると言うけれど
それは後になってから言えることであって
正にその瞬間は絶望と悲しみのどん底にありました。
それにしても、僕をふった(結果的に)女性たちは
大人だったなぁ〜と思う。
僕の後遺症まで心配してくれたんだからな。
さりげないフォローと言うか、薬(?)の処方と言うか
気配りが細かすぎた。
さて、僕個人で振り返れば
子供だった(幼かった)の一言に尽きるのだが
それを早く逝ってしまった母の所為には絶対にしたくない。
大方の人たちが持ち合わせている大きな何かが欠けた存在
しかし、むしろその欠落部分が僕の最大の宝物
そう思えるようになったのも、随分時が経過してからのことだけど・・・
この歳になって
「グッバイ青春」とはなかなか割り切れない自分がいる
大切な宝物
己の中核を構成しているもの
恋の結晶ならぬ失恋の結晶が
今も心の憶測でチラチラと燃えている
貴女の心に同じ灯はありますか?