物事の判断に、時代性は欠かせない。
いや、そのほとんどが時代に組み込まれ、翻弄されていると言っていい。
自身を語れば、やはり僕の時代は昭和だろう。
昭和に生まれ、育ち、もがき苦しみ、喜びを享受し、幾多の別離を体験した。
やせ我慢じゃなくて、苦しみの無い人生は無意味に等しい。
その時その時を達観して生きて来たわけではないが、他人さまから見て
<世捨て人>的志向と行動であったことは間違いないだろう。
常に、もう一人の自分が斜め45度上から監視(?)していた。
それは、僕なりの解釈では、もう一人の自分は<亡き母>なんだと思う。
この世に居なくても、見つめ、監視し、守り、励まし、助け、時に身代わりに
なる。
その僕の誕生日が明日であり、母の命日が明後日だ。
「笑顔良しのあきちゃん」いつでも誰からもそう言われた
確かに目が二本の線になるほど、いつも笑っていた
でも、誰一人としてその心の奥にある涙は知らなかった
いやむしろその涙を見せまいとするための作り笑顔だったのだろう
表面上の慰めや思いやりがたまらなく嫌だった
ちょっと大きくなって、幾分おませになったころ
そんな思いやりを嬉しく思うようになった
一種の翳りみたいなものが、異性の心を掴んだ
その翳りの源を突き止めたかったのか
単なる異性感情だったのか
とにかく僕は異性の優しさに包まれて幸せだった
でも、心の奥底では例のピエロ性は燻り続けていた
母性愛とはそれほどまでに比較し難い深さと重さを秘めていた
年齢にそぐわない幼児性が、心のバランスを奪った
それが逆に相手を燃えさせもし、驚かせることにもなった
恋愛感情と母性的感情のごっちゃまぜのようななかで
僕の青春時代の前半は過ぎて行った
分岐点は何だったんだろう、何時だったんだろう
能動的、受動的・・・その両方の別離が
僕を本物の男としての自立へのきっかけとなった
濃厚過ぎた15歳から25歳までの10年間
その中に僕のすべてが詰まっている
後は付録か?
僕は人生の付録を生きているのだろうか?
脱出、別離、脱出、別離・・・その繰り返し
自分の意志だけとは思えない不思議な力が作用している
彼女の言った「どうして苦しい方へ、苦しい方へ行くの?」は
僕にとっては必然だったんだ
選んだのではなく、課せられた道
そう思えてならない
僕を打ち負かしたと思っている奴は、悲しい道化師だ
僕を助けたと思っている人たちは、見事なまでの脇役だ
それらの上に君臨しようとは思わない
むしろ逆だ
僕は、まだまだ・・・
這いつくばって、這いつくばって・・・生きて行く
遠くに幽かに見えかけてきたトンネルの出口を
この目でしっかりと確認するまで