物事の判断に、時代性は欠かせない。
いや、そのほとんどが時代に組み込まれ、翻弄されていると言っていい。
自身を語れば、やはり僕の時代は昭和だろう。
昭和に生まれ、育ち、もがき苦しみ、喜びを享受し、幾多の別離を体験した。
やせ我慢じゃなくて、苦しみの無い人生は無意味に等しい。
その時その時を達観して生きて来たわけではないが、他人さまから見て
<世捨て人>的志向と行動であったことは間違いないだろう。
常に、もう一人の自分が斜め45度上から監視(?)していた。
それは、僕なりの解釈では、もう一人の自分は<亡き母>なんだと思う。
この世に居なくても、見つめ、監視し、守り、励まし、助け、時に身代わりに
なる。
その僕の誕生日が明日であり、母の命日が明後日だ。