八病棟と呼ばれる病舎は、広大な敷地のいちばん南端に建っていた。他の病舎が順次建て替えられて行く中で、ポツンと取り残されたような古い建物だった。別に隔離されたようなわけでもなかったのだが、そこに入っている患者の多くが、小児でしかも難病であったから、そんな印象を持たざるを得なかったのかも知れない。
自分の運命を幼いながらに悟っているのか、子供たちの表情は妙に透き通って見えた。話す言葉も明るく快活で、それが逆に痛々しかった。昨日まで元気だった子のベッドが、きれいに片づけられているのを見るのは辛かった。ほとんどの場合、退院という結果は無しに等しかったのだから・・・。
研究材料だのモルモット同然だの、親同士の会話の中には悲観的なことが多かったが、それでも心の奥底では奇跡的な恢復を願う人たちばかりだった。抗癌治療の子たちは、全身の毛が抜けて、みんな帽子を被っていた。ぱっと見では性別も判断しにくかった。
娘は生後間もなかったため、家内はベッドの横に折りたたみ式のベッドを置かせてもらって、寝泊りした。週に一二度洗濯物や着替えを取りに帰宅した。肉体的な疲労に心労も重なって、見る見るうちに痩せて行くのが分かった。
病舎内の重苦しい空気とは裏腹に、窓の外の景色はのどかで爽やかだった。太陽の光を反射してキラキラと光る川の流れや、沿岸の桜並木や、ジョギングやテニスを楽しむ人たち・・・。中の子供たちはどんな思いで見つめ続けていたのだろう。
なぜこんなことを思い出すのか?今日通り過ぎた病院は、すべての病舎が建て替えを終えて、あの第八病棟もなくなっていた。いくつもの命が消えたあの病舎。子供たちのはしゃぐ声が聞こえたように感じたのは、単なる僕の感傷だったのだろうか。