「その頃の私にとって、家は単なる寝るための場所でした。若くて野心があり
ましたから。学校で生徒を教える以外にいろいろな研究会や勉強会の活動に
携わってたんです。娘の顔をまともに見ない日が殆どという有様でした。
仕事が忙しくて家庭のことを顧みないということが、さほど非難される
時代でもありませんでしたから」
「今から考えると恥ずかしいかぎりです。自分の家で何が起きているのかも
知らないで、教育者もないもんです」
「片想い」 東野圭吾
僕の幼少期、そして小学生、中学生、さらには高校生になっても
上記小説中に出てくる家庭と酷似していた。
更に言えることは、僕の場合、三歳にして実母が居なくなったことが
致命的だった。
継母はまったくもって絵に描いたような典型的な継母だった。

人間はどれくらいの周期で生まれ変わるものなのだろう?
諸説いろいろあるようだが、そもそもまたしても人間として
生まれ来れるかどうかも分からないわけで・・・。
これはまったくの受け売り話だが・・・
遠い昔殺された魂が、この世で相手と兄弟、あるいは親子として
生まれ来て、ある段階でそのはるか過去の仇を打つ・・・
という話。なんとなく話として分かる様な気がする。
現実的報道では「家庭内殺人」とか「家庭内暴力」とかの
表現になるのだろうけど。
「魂は永遠なり」ということか。
過去のブログ
↑ここでは、「心が覚えている」と書いているが
「魂が覚えている」と書くべきだったな。
