スポーツ界でも芸能界でも、あらゆる分野で、様々なハラスメントが報じられる。
言葉こそ現代っぽいが、これは昔からあったことであり、「鍛える」とか
「しごき」とかいう言葉に隠されていたが、全くのハラスメントそのものだった。
高校二年の時、校内でも有名な教師が僕のクラスの担任となった。
僕は家庭内の複雑な事情もあって、ほとんど勉学に励めない状況下にあった。
そんな時、僕は職員室に呼び出された。開口一番いきなり怒鳴りつけられた。
そして・・・
「お前は、今の成績はサッパリだが、どういうわけか(?)入試の成績が
やたらと良くて、現在トップ50にぶら下がっている(?)これからどうする
つもりなんだ!もう大学入試は始まっているも同然なんだぞ!」
僕は言葉を返す気力もなく黙っていると、「壁にむかって立っとれ!」と
怒鳴りつけられた。他の先生方が憐みの目を向けていた。
それから数か月間、僕は登校拒否状態になった。

ステファニー先生と並んで、もう一人女性の恩師がいる。それは卓球の韓先生。
中国の帰化選手で大学選手権で二連覇した人だ。ご主人は王さん、当時ひわこ銀行
のエースで、これまた全日本のチャンピオンだ。
健康のためと思い、始めた卓球で、僕はクラブ結成の時、誘いを受けた。
10人ほどが集まり、僕は一番下手くそだった。
そのクラブが韓先生のレッスンを受けることになり、僕も勇んで参加した。
レッスンが二、三回進んだ頃、僕は先生に声をかけられた。
「わたなべさん、三年我慢して上手くなりませんか?」僕は即OKをした。
他の人たちと言えば、「試合に勝てることを教えて!」とか、先生に試合で挑むと
いうような姿勢だったので、先生はそういう人たちには、適当に相手して、
お義理で「ナイスボール!」というような状態で、それは僕の素人目にも明らか
だった。先生は僕と同じ左利きで、それも幸いした。僕はペンホルダーだった
のだが、先生の薦めでシェイクハンドに変えた。超嬉しいことに、先生の使って
おられたラケットを「どうぞ!」とプレゼントされたのだ。レッスンは厳しかっ
た。最初の何ヵ月かはダメ出しの連続だった。でも次第にOKが出るようになり、
レッスンは順調に進んで行った。
そうしたある日、先生の教え子の100人くらいの合同練習が行われた。
そこで何と僕はバックショートの練習の見本で指名されて、その大勢の注目の中、
先生とのレッスンをさせてもらった。予想外に10回、20回とミスなく続けることが
出来て、拍手が起こるほどだった。これには先生も大満足で、親指を立ててグッ
ド!とのサインを送ってくださった。
そして・・・
