人間の生命が、たがいに呼応し共感し得るということは
何たる至幸というべきであろうか。
世にこれに勝るいかなるものがあるであろうか。
森 信三
「いいんだよ、わかってる。
何もかもオレの自己満足だし一人相撲なんだ。
永遠の片想いってやつよ。
だけどそれでもオレにとっては大事なことなんだ。」
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永遠の片想い、か・・・。
その気持ちは何となく理解できた。
無意味だとわかっていながら、こだわらずにはいられない何か・・・
誰だってそういうものを持っている。
「片想い」 東野圭吾
久しぶりの飲み会の二次会で、これまた久しぶりにマイクを握った
不思議なもので、歳と共に選曲も移り変わる
聴かせるというよりは・・・
その歌詞のなかに入り込んでゆくような
忘我の自分がいる
♪あなたの細い手の逆さ時計
あなたの肩までの夏の服
あなたのせつなげな眉の線
あなたの舌足らずな言葉たち
永遠のまごころをあなたに贈りたい
あなたが伏せ目がちに微笑んでくれれば
永遠のまごころをあなたに贈りたい
まるで「ふるい」にかけられるように、人間も残るべき人が残ってくる。
それは単に僕自身のあるいは対象者の好みとも関係性があるのだろうけれど
僕はもっと奥深い部分での<接点>が「ふるい」の網の目を決定付けていると
思う。
僕的には、僕の持つ網目は何でも留まると認識しているのだが、他人様に言わせ
れば、どうも逆に大方が透かされてしまうようだ。
それを良しとするか否かは、意見の分かれるところだが、もうこの年まで来たら
今更その網目を変更のしようがない。
逆説的に言えば、僕自身にしたって、他人様の網の目をいとも簡単に透かされて
いるのだから。
それはどんな場所であれ、フォロアー数や(いいね)の数に一喜一憂するのに
似ている。数の問題ではなくて個々の質の問題だろうと言いたい。