師匠に言われたことを思い出す。
人を注意する時は、何処か一ヶ所、逃げ道と言うか避難場所と言うか、
そう言う所を与えなくてはならない。
何処へも逃げ場の無い状況を作ってしまっては、
言うべきことも伝わらない。
ネズミの抜け穴とでも言うべきものだ。
表現を替えれば、
三つ注意を与えて、最後に一つでいいから、
どんな小さなことでもいいから誉める。
「だけど君の此処は良いね」というわけだ。
そうすれば、注意された点にも心が素直に向くというわけだ。
これは、逆の立場での実体験でもある。
科学技術が、時間を節約する。
しかし、そんなに急いで何処へ行く?何をする?
スローライフを叫んだのは、いつの頃だった?
たとえ孤独でも、その思いを貫いたか?
そこら辺の同世代と変わらない世間の目の中で、
己の特異性に気付くのに、随分と遠回りをしてしまった。
でも逆に、その遠回りのおかげで、
僕は自分だけの宝物を見つけることが出来た。
おそらく他人様には、そこらに転がっている石ころのようなものだろう。
寒風の中、シェラフの中で見上げた満天の星空の中のひとつ星のように。
いろんな人に逢うさ
いろんなことがあるさ
僕らの旅は果てしなく続く
知らない街で愛を見て
ふと立ち止まり
心の置き場があれば
それもまたいいさ
わずかな、せいぜい長くて百年ほどの現世なんて、永遠の過去世と無限の来世に
はさまれたサンドイッチのハムよりも薄い時間に過ぎないのだと思えば、そんな短
い現世であくせく生きている人間の命は、巨いなる者の目から見ればわれわれ人間
の目に映る蟻の生よりも、はかないものなのかもしれません。
瀬戸内寂聴
夢は喪失を受け入れるていくための儀式のようなものだ。
夢を見るということでようやく、人間はある平衡をとることが出来る。
人にはそれぞれ特権的な夢がある。
人の命を救うために
人の命を奪っている
平時なら 殺人犯
有事なら 勲章もの
どう考えても おかしいだろう
帰還兵が 精神を病むはずだ
夜空に星座を探す。
僕はなぜか、いつもオリオン座を追う。
小学生の理科の授業の名残だろうか?
そしてその記憶の形を見つけて安堵する。
そして…呟き歌う…♪オリオン舞いたち 星座は巡る…
そうか、合唱団のせいか。
♪夜空の星に 祈りを捧ぐ
その娘の 優しい瞳の中に
喜びの涙が あふれていた
初めて見つけた この恋を
求めて離さず ここまで来た
父は
幼い子 三人を 見送った
そして 末っ子の僕が 三歳の誕生日の明くる日に
妻を見送った
残ったのは 長男の兄と 末娘の姉と 僕だった
その慟哭は 想像もできない
そんなドラマは 想像もできない
本当は 六人きょうだい だなんて
僕は 独り 取り残された
たった 独り 取り残された