我が家の玄関横の小さなガーデンの植物たちへの水やりが、
僕の役目の一つなのだが、あまりの酷暑続きなので、
早朝の日陰時間にすることにしている。
ある植物学者が言っていた…「雑草という名の植物はない!」と。
そう言われてみると、「この雑草め!」と容易く引っこ抜くわけには
いかないような気持ちになる。
そもそも僕自身、とれが雑草なのかも定かではないので、
つい躊躇してしまう自分がいる。
実際、しかるべき時が来たら可憐な花を咲かせたのを見て感動した
経験があるので、そう簡単には引っこ抜けなくなってきた自分だ。
家内は見分けがつくようなので、いとも簡単にヒョイヒョイと
抜き取って行くが…。
憐憫の情とでも言おうか、ちょっと可哀想な気持ちになってしまう。
稲や野菜たちの邪魔物でもないんだから、共存させてあげれば…
なんて思ってしまう。
若い頃なら、年齢が一回りも違えば、大人と子供の感覚だが、
歳を重ねれば、その年齢感覚はどんどんと縮まり、意識することすら
なくなってしまう。不思議なものだ。
それでも相対的な固定観念は残っているもので、実の娘のような人から
ドキッとするような言葉を聞くと、それに驚く自分に驚いてしまう。
そうか・・・感覚的に受ける年齢と実年齢とは、随分と違うんだと
いうことを思い知らされる。
「あなたは、言われるほどの年齢は感じませんよ」
お世辞なのか、営業言葉なのか・・・
グラスを口に運びながら、どことなくにやけた自分を恥じる。
僕の「この部屋」は、いわばサテライトスタジオのようなものだ。
通りすがりの人が、ちょっと立ち止まって話を聞いたり、
「何やってんだろう?」とのぞき見したり、そんな場所だ。
でも人通りの多い表通りではないから、通りすがる人の数は知れている。
自分としては、そんな適当バランスのこの場所が落ち着くし好きなのだ。
でも時々、内側から外を見ていて、ハッとする人を見かけるときがある。
そんな時は、とても臆病者の僕だけど、横のドアを開けて通りに飛び出し
その人に声をかけてみる。
これはとても勇気の要る行為だが、僕はインスピレーションを大事にしたいので
思い切って声をかけてみる。
これまでの二十数年間で片手ほどの数にしかならないが、それが「感性」であり
フィーリングであり、そしてそのマッチングなのだ。
今日も、明日も、明後日も・・・
ずっとずっと・・・
毎日が「お盆」のように
毎日が「お彼岸」のように
まさしく<亡霊弔いを待つ>
※迷惑、いたずらコメント防止のため・・・
今日は終戦記念日。
僕の叔父(母の弟)は、大学生の時、特攻隊に志願し
昭和20年の4月7日に出撃、沖縄沖で戦死した。
その四か月後が終戦だから、遺族の思いは複雑極まりない。
美声の持ち主で、歌がとても上手だったらしい。
台湾で終戦を迎えた弟の叔父が、本を出版した。
五、六年をかけた労作だ。
その叔父ももうこの世にいない。
「歌は世につれ 世は歌につれ」と言うけれど
伊勢正三の「22才の別れ」は、まさしく僕の実体験と重なりが多く
懐かしい・・・というよりは、切なさがこみあげてくる。
今でも・・・。
♪あなたに さようならって
言えるのは 今日だけ
明日になって またあなたの
暖かい手に 触れたらきっと
言えなくなってしまう
そんな気がして
・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕が22才だったから、あなたは27才だった
あなたの周りの急き立てるような圧力が
あなたの心を追い込んでいった
・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪私には鏡に映った
あなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった
幸せにすがりついてしまった
・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたは、まさに意を決して、はるか博多から京都へ
僕に会いに来てくれたわけだが・・・
一緒に行こうと思えば行けた
あの映画「卒業」の逆バージョンのように
一緒に汽車に乗ってしまうこともできた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪今はただ5年の月日が
永すぎた春と言えるだけです
あなたの知らないところへ
嫁いで行く私にとって
ひとつだけこんな私の
わがまま聞いてくれるなら
あなたはあなたのままで
変わらずにいて下さい
そのままで
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まったく同じフレーズを残して
あなたは夜明けの列車に乗った
「あなたはあなたのままで、変わらずにいて下さい」