雪解けて 比叡の稜線 鮮やかに 渡部秋耕
寒波襲来の予告通り、大雪となり5〜6センチ積もっただろうか。
坂の上のわが家は、スタッドレスを履いていても車の通行不能となり
何年かぶりの雪かきをした。
「ほぼ日刊イトイ新聞」の中に、あの「プレバト」で有名な夏井いつき先生との絡
みの記事があって、糸井氏同様、「やってみるか・・・」となった。その前に(俳
号)という大いなる<隠れ蓑>が必要とのことで、「はてどうしたものか?」と考
えていたら、亡父の遺した句集の表題が「秋耕」であることに思い至った。これ
だ!っと思った。
いささかおこがましい気もしないではないが、実名の「秋」も入っているし亡母由
来の句でもあるし、これに決めることにした。
しかしながら糸井氏同様、そこから先が進めない。だがその対談の記事を読み
進めていくと、まさしく指南書的な記事が連載されていて、一気に読み進んだので
あった。
さて僕の初歩的俳句は日の目を見ることことになるのだろうか?
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ぼたん雪 見慣れし遠山 消しさって 渡部 秋耕(初作)
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空は抜けるように青く澄みきっている。
しかし、風は冷たく肌を刺す。
ジェット機が雲を引かずに、音だけを残して飛び去って行く。
たしかにあの雲の流れでは…と不確かな自説に納得してみせる。
ふとあの貿易センタービルの画面が蘇る。
突っ込むジェット機、立ち上る白煙…まるで無声映画のようなあの場面。
現場と傍観の冷酷極まりないコントラスト。
似たような事象が世界のあちこちで起きているというのに、なんと非情な客観視だ
ろう。
その意味においては、日本は平和であろう。しかし、惨禍のなかで見る彼らの夢や
希望には、僕らのそれはこれっぽっちも及はないはずだ。
どっちが人間的と言えるのか。どっちがまさに生きていると言えるのか。
詩的な感覚が政治的なきな臭さにおきかわり、戦場の子供たちの瞳に呼応して、
胸の中で流離い人の子守唄が流れる。
あぁ、せめて三年前に逢えていれば…なんてことは、よくあるわけで。時の悪戯は容赦ない。
でも、人生に「もしも…」は無いわけで、現実を受け入れるしかない。
無理してその仮想の中に生きようとすれば、現実の歯車は狂いだし、その方向性は定まらす、時に空中分解も引き起こす。
それでも…しかし、空想の作り出すドラマが、現実の自分に劇的な変革をもたらすこともあるわけで…。
夢や空想の中で、半分以上生きているに等しい僕としては、そこらの物差や計りは持ってきてほしくないのです。
夢で逢いましょう。夢で語りましょう。夢でそのまた先を紡ぎましょう。
「非日常」の「日常化」はキツイ!・・・と感じる。
例えば、嫁の立場としての旦那の父あるいは母の介護。
それでなくても厳しい局面もあるのに、加えて「介護」となれば事は深刻だ。
加えて「痴呆」が絡めば、負担は倍化どころか想像を超える。
わが身に置き替えてみて、せめてそういう立場にならないでいようと思う。
何らかのお世話にはならざるを得なくなるだろうが、少なくともボケないで
いたい。いやいやその前に老々介護の方が現実的課題だ。
歌の文句じゃないけれど・・・
辛くても 辛くても 死には(いや待った!)
辛くても 辛くても ボケはしないわ