♪あなたのくちびるの風と雨
あなたのまなざしの絹の糸
あなたのゆびさきの花の色
あなたのみみたぶの銀の夢
面影を描くのに
筆はいらないよ
あなたが暗闇から
呼びかけてくれれば
面影を描くのに
筆はいらないよ
あなたのかなしみの青い海
あなたのさびしさの暗い夜
あなたのぬくもりのハンカチーフ
あなたのよろこびの星の渦
この愛を告げるのに
言葉はいらないよ
あなたがぼくの腕に
よりかかってくれれば
この愛を告げるのに
言葉はいらないよ
あなたの細い手の逆さ時計
あなたの肩までの夏の服
あなたのせつなげな眉の線
あなたの舌足らずな言葉たち
永遠のまごころを
あなたに贈りたい
あなたが伏せ目がちに
微笑んでくれれば
永遠のまごころを
あなたに贈りたい
良い意味でも、悪い意味でも、
政治とはこういうものだ…ということです。
社会における一面にすぎないのだが、
あたかも全てを内臓したかのような、不気味さを持っている。
愚直とも言える【真面人間】が煙たがられ疎外される。
耳触りの良い言葉や、受けるパフォーマンスに、人心は踊らされる。
その先に、戦争があろうが、地震や津波が来ようが、株価暴落があろうが、
原発事故があろうが、それはその時と、一種の浮かれ状態と化す。
真実を愚直に叫び続ける者は、柔軟性が無いとか融通生が無いとかで
敬遠され、疎外される。
歴史を振り返り見よ。歴史に学べ。新しい歴史を作れ。
これさえも、彼らは【犬の遠吠え】と切り捨てるのだろう。
誤解を受けるのを恐れずに言うと、私は、ある意味で、戦争が好きだ。いや、やはり誤解を避けるために慎重を期すと、戦争について感じたり考えたりするのが好きなのである。
戦争は、生命という「生の基本手段」を危殆(きたい)に陥らせる。だがそのことによってかえって、「生の基本目的」が那辺にあるか、あるべきなのかが切実な問いとして浮かび上がってくるのである。
死を間近にしてはじめて生が輝く、という逆説から人間はついに自由になることはできないのではないか。戦争についての感受力と思考力と行動力を失った国民には、結局のところ、平和の有難味を知ることすら叶わぬのではないか。戦争という非日常性の事態に対応できないような人間は、裏を返せば、闘いと戦さの要素を含むのが日常生活であるという平凡な一事をわきまえておらず、それゆえその日常生活の中心には大きな空洞が穿たれているのではないか。
【西部 邁】
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「戦争」と大上段にふりかぶらなくても、何事もない、ある意味幸せな生活をおくっている人たちにとって、「幸福」は当たり前であり、格別喜ばしい事とは思えていないはずだ。それとは逆に、「今日、如何に生きるか」の瀬戸際的生活を送っている者にとっては、前者の人たちの当たり前が、最上の慶事であったりするのです。
こうしたギャップはそう簡単には埋まらない。彼らには届いたとしても「犬の遠吠え」的ものであり、さして気に止めるほどのことでもないのです。そこに上流、中流、下流、底流という層の枠をはめ込めば、分かりやすいのかも知れない。そしてその大方が、上流とまでは言わなくても、せめて自分は中流層に位置していると思いたがっているに、違いない。闘争の要因はここら辺に淀み潜んでいる。日本人の特性が、言い意味でも悪い意味でも事の表面化を恥じ、恐れ、我慢する。富めるものはますます富み、貧しき者はますます疲弊し崩れ落ちる。武器は持たなくても、心中に刀を抱き、銃を携え、「いざっ!」の心構えを有した人間がいかほど居るのだろうか?かってのあの若き世代の闘士たちの大半は現代の資産家達の部類に組み込まれ、また統治し支配している。どろどろとした薄暗い地下豪のなかで、眼だけがらんらんと光り輝く闘士たちの塊が見えるような気がする。そしてその横には、悲しき自死を選択した同士が横たわっている。西部氏はその裁死を選択したのだった。大方は時代に巻かれる。翻弄される。そしてこの選挙真っ只中、金切り声をあげて、住民を翻弄し、取り込み、気勢を上げる。さらば青春。甦れ青春。