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横須賀の女(ひと)


背景の記憶(274) 2019・4・17

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アウト

堕獄に比重をおいて法を説くのか

浄土参拝に比重をおいて法を説くのか

これは意見の分かれるところである

どちらにも危険性は潜んでいる

僕のある種卑怯な結論付け

それは・・・

偏り過ぎれば、どちらもアウトです



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金儲け

人間

  最大の金儲けは
    
         健康ですね

もう一つ

    欲を言えば

         健全なる精神ですね

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釧路の女(ひと)

いわゆるブログが流行り始めた頃、僕たちは<ともだち>となった。

場所は<ライブドア>で、その斬新さは当時群を抜いていた。

確か彼女のハンドルネームは<keyring>だったと記憶している。

釧路と書いたが、生まれ育ちがそうであり、当時は岩手県に住んでいた。

既婚者だったのだが、旦那が<無精子症>と言うことで、悩んでいた。

親からも「子供はまだ?」と責められ、かと言って旦那にきつく当たる訳にも

いかず、独りで悩んでいた。そんな心の拠り所がブログの世界だったのだろう。

そして僕のブログとの出会いがあり、急速にその中身は深まって行った。


彼女は洗練された感性の持ち主だった。

意外性を持ちながらも、その内容は至極的確だった。

当時の僕の仕事上の悩みなどを打ち明けると、何ともポジティブな言葉で

僕を励ましてくれた。「前が見えない?回れ右!してみれば。ほら違う世界が

見えるでしょう!」てな具合だ。


当の本人は結局離婚した。そして故郷ではなく札幌へ移住した。

新たな分野の勉強を始めたのだ。資産家である親の会社に戻る前に物心両面で

スキルアップを計るつもりのようだった。


そんな彼女がなんとも意外な行動にでたことがあった。

それは写メールが送られてきて、そこには夜の街のタワーが写っていた。

「何処のタワーでしょう?」

札幌?横浜?・・・せいぜい関東圏までしかのイメージしかなかった。

所がそれは実は京都タワーだったのだ。急ぎ連絡を試みたが、それは一日後れの

画像だった。更に驚かされたのは、彼女は僕の故郷・松江に移動し、更には生まれ

故郷・隠岐の島へと旅を進めていたのだ。


彼女が僕のブログの中身をすべて読み通して、確実なイメージを作り上げ、

その実証の旅を試みたようであった。これにはホントに驚かされた。

ある意味、人間としての節度を保ち、その微妙な距離感の中で、最大限に人間同士

の絆を結ぼうとした彼女に、僕は感服したのだった。

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薩摩の女(ひと)

偏見ではなくて、なんともトランジスターな娘だった。

背丈は僕の肩までもなかったかもしれない。

九州女らいしく明るくてハキハキしていて面倒見が良かった。

五つも年下なのに、時々お姉さんのような振る舞いをして、僕を戸惑わせた。

達筆だった。性格そのままの男性的とも思える字を書いた。

僕は左利きを無理やり直されたものだから、全部に力の入った画々の字しか

書けなかった。でも、それはそれで彼女は僕の字を褒めた。

「字は体を表す」なんて、解ったようなことを口にした。

送別会となってしまった会社の新年会の時、「青春時代」をデュエットした。

歌の題名の通り、複雑怪奇な青春時代の一つの幕が下りた。



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出雲の女(ひと)

同姓だった。

三つ年上で、彼女のお母さんも先生だった。

県境の米子で働いていた。

米子は同じ山陰なのに、なぜか都会的な雰囲気の街だった。

東京スタイルというか、垢ぬけた雰囲気だった。

山陽との交通の要所だったからかもしれない。

お母さんや妹さんたちは、出雲大社に住んでいた。

理由は聞かなかったが、何かの理由で親夫婦の仲は良くなかったと聞いた。

いつものパターンで、僕たちは姉と弟のような関係だった。

詳細を知らない人から見れば、それで通ったかも知れない。

夫々の親たちは、これまた夫々に悩みを抱え呻吟していた。

その一種ドロドロとした闇の中で見つけた、灯だったのかもしれない。

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指導者

これは何の分野でも言えることなんだが、

人の能力、理解度、進捗度、、、これはまさに人それぞれ、

あたかも全員が横一直線で進ことなんて不可能なわけで・・・

それを「こんなこともできないのか!」とばかりにやられては

大半が尻込みするに決まっている。

かと言って、100m競争で、長い棒をみんなが持って走って

全員が一等賞!と言うのも???である。

難しいことはさておいて、指導者、牽引者の「器」の問題だな。

我慢も必要だろう、根気も必要だろう。

そして何よりも「愛」と「情熱」が最優先だろう。


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泣き虫さん

あなたは

自己主張の強い寂しがり屋さん

烈しい信念で決して曲げない

そのくせ

誰かさんの前では泣き虫の甘えん坊さん



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虚と実

不愉快極まりない話を聞かされた。

某有名作家の、偉大な某詩人の実態は、○○だった××だった・・・

と言うもの。

その考えには声を大きくして反論したいね。

世間的な目から見ての実態がどうであろうが、彼(彼女)から生み出される

小説が、詩歌が、或いは絵画が、

世の人に感動を与えれば、それだけで素晴らしいことじゃないか。

逆に言えば、そうした現実があったればこその作品じゃないのかな?


もう何十年も前の話だが、似たような経験をした覚えがある。

それは・・・「宮本武蔵」

吉川英治のそれは誰にでも感動を与えた筈だ。

そこへ後年、「新説 宮本武蔵」なるものが出て、ドラマ性のない

リアリティーの世界を突き付けられると、感動の風船は、一気にしぼんで

しまった。


ぐっと砕けて・・・

こんな歌を思い出す。

♪ひとの妻とも 知らないで
 おれはきたんだ 博多の町へ
 逢わなきゃよかった 逢わないで
 夢にでてくる 初恋の
 君をしっかり だいていたかった

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闘い

善と悪 真実と虚偽 仮と実

熱心と怠惰 献身と我欲…

対極同士がせめぎ合う

おのが心の合戦

49対51でも支配率では負け

さあ、そこをどう攻め返すか

どう立て直して行くか

葛藤ではなく、悩むのでなく

ひたすら攻め落とす

妥協は問題を先に延ばすだけ

捨て鉢ではなく

矢でも鉄砲でも持って来い!

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