公園や広い中央分離帯の銀杏並木は
散髪されることはない
わが季節到来!とそびえ立つ
悲しく切り落とされるのは
歩道に植わる彼たち、彼女たち
この寒風では風邪ひくぞ
もうしばらく居させてあげなさい
物悲しい歌でも口ずさめるように
♪銀杏並木の・・・
♪ふたりで歩いたあの坂道も・・・
冷たい雨がアスファルト道に地図を画く
人間にとって一番恥ずかしいことは、立派になるということです。
僕にダンディズムがあるとすれば、このへんですね。
自分って、『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで
スーッと楽になれるんじゃないかな。
『なんだ、俺はいままでにこんなつまらないことにこだわってたのか』って。
そして楽になると同時に打たれ強くもなるんですよ。
タモリ
テレパシー
第六感
阿吽の呼吸
そこに比重を置いて生きて来た
他人様のような直接表現は苦手でござる
しかし・・・
大半は一方通行でござった
かなしみ
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
谷川俊太郎
「もらい湯」と書けば、これは現代ではもはや死語かも知れない。
母の死後、父は再婚し、隠岐の島から松江に移住した。父は教師と言う仕事柄、
転任を繰り返したこともあり、僕は小学校を卒業するまで、ほぼ毎年転居を余儀な
くされた。ようやく義母の里の家に落ち着いたのが六年生の時だった。母屋の裏に
あった納屋を改造して、そこが僕たちの住まいとなった。兄と姉は、通学の都合や
義母への抵抗感が強く、母方の親戚に身を置いていた。
建物の構造上、当然ながら風呂は無く、母屋のお風呂に入れてもらうことになっ
た。いわゆるもらい湯だ。五右衛門風呂だったから、その沸かし役は僕だった。
新聞紙で火種を作り枯れた松の木、そして薪という順番で沸かして行った。蛍の光
ではないが、その灯で本を読んだ記憶がある。
僕たち家族が入れるのは当然ながら母屋の人たちの入浴後であり、日が代わるこ
ともしばしばだった。隣が寝室と言うこともあり、できるだけ音を立てないように
随分と気を遣った。
こんなことの連続の中で、僕の性格は出来て行ったのかもしれない。いつも言う
<ピエロ性>だ。顔で笑って心で泣くいつもニコニコの<笑顔良しのあきちゃん>
だ。
Take the risk. (リスクを知れ)
No pain, no gain. ( 痛み無くして、得るもの無し)
Never say never. (決してあきらめないで)
Just keep going. (前進あるのみ)
Mistakes keep people. (失敗が人を作る)
「時が解決する」とは
よく言ったものだ
「時間がクスリ」とも言う
別な言い方をすれば
時が己を成長させる
涙が乾くまで
泣くだけ泣けばいい