「橋の下を たくさんの水が 流れました」
(その後いろいろなことがありました)
そういう会話(文通)ができる人は、そう多くは居ない。
あぁ……いろいろあったんだろうなぁ……というイメージが湧きあがる。
久しく…というより、まったく手紙というものを書かなくなった。
あのなんとも言えない手紙の味を、忘れてはいけないと思う。
選りすぐられた言葉たちや、洗練されたペンのタッチや……
それぞれにそれぞれの味があり、香りがある。
直接表現でなくても、愛を感じることができるし、伝えることもできる。
「輝ける闇」と言ったのは誰だったか?
何でも見えるが何も見えない……
すべてがわかっていながら、何もわかっていない……
一切が完備しながら、すべてがまやかしのようでもある。
何でもあるが、何にもない。
つくづく思うことがある……
「あんなに人生がわかってしまってはつまらないでしょう……」
「内柔 外剛」~「外柔 内剛」
フィクションの世界に己を預けられる人は、まだ幸せ者と言える。
お決まりのコースとして、大方は「自死」を選択する。
「言葉は影であると同時に、実体でもある。」
【中島 敦】
「言葉は陽炎であり、肉である」
「傑作か駄作は分からないが、人生は作品だ」
【開高 健】
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さて、僕は何をやっているのでしょう?
徒労、無益、無駄……
言葉の海に溺れかけているのでしようか?
それでなくても金槌で泳げないのに……
究極の趣味は【石】だと言われます。
堅固で、腐らないし、膿も汗も滲まない。
いつもそこに同じ質と光沢をおびている。
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石
雨に濡れて。
独り。
石がいる。
億年を蔵して。
にぶいひかりの。
もやのなかに。
【草野心平】
※実家の玄関を入ってすぐの壁に、この詩の額が
掲げられていた。国語教師、そして書道家らしい父独特の
創作文字で。その中に言葉と文字の一体化を感じた僕だった。

そもそも「結婚」とは何だ?
「夫婦」とは何だ?
と、今更ながら考える時がある。
その所以は、読み漁る(まさに!)本たちの中に炙り出されてくる。
一方で、何人もの離縁者(夫婦わかれ)を身近に抱いている。
それを実行に移す年齢にも関わることなのだろうが、概して
女性の側の方が積極的(?)、能動的である。
天秤のかけ具合…と言ってしまえば、それまでのことだが、
概して……女は強い!
表向き(社会的に)夫婦の形態を保っていても、心はもはや離反、自立している
女性たちは、僕の身近に存在している。あの人もこの人も……。
経済力の問題を外せば、その率は何増倍にも膨らむだろう。
概して……女性は強い!それは称賛に値する。
僕は作家でもないし、評論家でもないが、そこらの心理変化には敏感なつもりだ。
僕なりの結論!
常に一緒にいる存在よりも、ごく稀に会う存在の方が、はるかに刺激的である。
「むっつり助平」という言葉がある。
僕はその言葉をもろにぶつけられたことがある。
彼は当時の一方的片思いの彼女が、僕に気があると邪推してのことだった。
そのような事実はあろうはずもなく、僕はただ耐えるしかなかった。
生来、その方面では鈍感極まりない僕は??であった。だって当の本人とは
言葉も交わしたこともなかったのだから……。
しかし、事実はそのまた逆だった。
対象の彼女との距離が急接近したのだった。
いつもの習性で、僕は遠くから見ていた。人も物事も……。
ところが、彼女は違っていたのだ。
僕の形無き習性を、もろに受け止めてしまったのだった。
成就と言えば成就、悲劇と言えば悲劇。
またやらかしたか!
これは卒業したはずだった。
自分の心の中だけのドラマのはずだった。
不思議な現象だ……。
意は現に成る。
この時ほどテレパシーを如実に意識したことはない。