生涯において、何十人、何百人に逢ったって
そのつながりの密度が薄ければ
逢わなかったに等しい
車を降りてみよう
そして
ゆっくり歩いてみよう
ゆっくり・・・ゆっくり・・・
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♪ふりかえってみるのもいいさ
道草くうのもいいさ
僕らの度は
果てしなくつづく
時には疲れたからだを
木かげによこたえて
想いにふけるのもいいさ
旅はまだつづく
いろんな人に逢うさ
いろんなことがあるさ
僕らの度は
果てしなくつづく
知らない街で愛をみて
ふと立ちどまり
こころの置き場があれば
それもまたいいさ
なぜか悲しい夜だから
誰か話しかけて欲しい
でっかい地球とでっかい夜が
ドアの外に見える
どんな言葉でもいいから
少し心を見せ合おう
小さな自由と小さな愛が
伝わるだけでいいのさ
人が恋しい時がある
ここに一人でいる僕を
夜空のどこかにしるしておきたい
愛する人に届けと
ナイチンゲール
心的原因と思われる
僕の異変に気付いたあなたは
「私が治す!と宣言した
「必ず治す!」と。
看護服も勇ましく
野戦病院を開設したのだった。
ブルーメの丘
あなたと初めて逢ったとき
あなたはまだあどけない小学生で・・・
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♪いたいけな眼差し 投げ続ける君は
ひたむきな心を 隠そうともしない
変わらない憧れを 背中に映し
逢うたびに君は 美しくなる
限りなく青くさい 君の夢を
裸になって抱き 抱きしめたい
移ろいの多さに かすり傷を恐れ
誰となく心に壁を立てる中で
かげりない輝きを背中に映し
逢うたびに君は 美しくなる
ためらいも疑いも 君の夢に
地平こえて飛び飛び散ってく
気負わずに熱い 君の足音がはずむ
さわやかに熱い 君の歌声がひびく
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再会の時
あなたは流転の時を重ね
その重い空気を必死に跳ねのけようとしていた
しばし羽を休める瞬間として
ブルーメの丘に遊んだ
少し 愛して・・・
なが〜く 愛して・・・
サントリーレッド か・・・
懐かしいコマーシャルです
彼女のハスキーっぽい声が魅力的でした
永遠の片想い
これは高校の還暦同窓会でのスナップ写真
彼女は中学三年生の時、同じクラスで
僕が委員長、彼女が副委員長
クラブはどちらもバスケ部だったが
彼女はキャプテン、僕は補欠
彼女は教師に、そして同級生と結婚
僕は・・・・・・・・・・
永遠の片想い
😢😢😢
そして・・・
今日、9月1日は防災の日
しかし、父にとっては<亡妻の日>であった
昨日(8月31日)が僕の誕生日
つまり僕の満3歳の誕生日の明くる日に母は亡くなった
父は詩集に書き残している
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魂はもはや歔欷(きょき)でもなく叫喚でもない
わたしはただ(おそらく)
見まもりたいだけ
生あるかぎり
そうしたいだけ
台所にいた三歳の秋夫が大きな声で
「まんまごせ」
とどなっているのを
「アレまんまごせとや」
と病にさいなまれているおのれのくるしみを瞬時忘れて口ばしった
その前後の呼吸麻痺で苦しく
しかしそのわが子の無心の叫びは
母の耳をとらえて
瞬時業病との戦いを忘れたかにみえた
ああその秋夫と
東京に
素子の嫁入りにいってきたよ
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正と邪、善と悪、美と醜など、ときに人は物事をばっさりと二分して捉え
ようとする。自分は、正しい側でいたいと願う。しかし、実際は、そんな単純な
ものではない。光の当て方によってはどちら側とも言えるし、ひとつの言葉では
表せない。矛盾した要素をそなえているもの。多面的で多義的である。人生とは、
すべからく「メビウスの帯」のうえを歩いているようなものかもしれない。
そして、いつも理解してくれない反対側へ「片想い」しているのである。
吉野 仁 (「片想い」解説)