あれは僕が結婚をする前の頃だったろうか?
父は手紙の中で「おまえは、<脱出>の名人だな・・・」と
誉め言葉なのか諫めの言葉なのか・・・分からないような一文があった。
たしかに僕にはその歳までに、一度と言わず二度、三度<脱出>をした。
自分的には・・・
「孤独になろう・・・自分を見つめよう・・・」だったのだが
された側からすれば「なんて身勝手な」「迷惑この上ない」
行動であったに違いない。
<脱出>は殻を破る〜最短、最善の道だ。
<今>は・・・
躰ごとの脱出ではなく、心の脱出だ。
それこそが真の<孤独>と言うものだと確信している。
吹いてくる風が頬や胸板にあたるなら、
むかい風に立っていることを学びなさい。
目の前に登り坂と下り坂があったなら、
一度は(いや二度でも三度でも)
自分から選んで登り坂を歩きなさい。
登り坂を歩きながら、
少しだけ息苦しさもある中で、
もう一歩、いやもう一歩登ってみましょう。
きっと何かが、そこにあるかもしれないから・・・。
私たちのいきていく道は、
やってみなければ見えないもの、
出逢うことがないものがたくさんあります。
伊集院 静
悲しいかな、もはや思考的成長は止まってしまったのだろうか。
久しぶりに会った友との会話、前回とそのまた前と同じ内容の話をしている
自分だった。それを固定化した己の考えと言っていいのか、それとも何の
成長もない己と言えるのか・・・僕は後者のような気がしてならなかった。
他人の批評を己の餌にしているようでは、真の意味で心は満たされない。
この年になって、知的成長なんて口にする方がおかしいかもしれないが、
自分の中ではなんとも煮え切らない消化不良感が続いているのだ。
お前の信条は、
「いつも青春 いつも青春 いつも心の流離い」
ではなかったか。
追いかけない
立ち止まる
仰向けに寝転び 大の字になる
眼を瞑る
何を想った? 何が見えた?
他動的であるか 自動的であるか
諦観に至るか
心の中のルーレットのウイールが
転回を緩めて停止した時
どの数字の上に止まるのか?
僕の願いはゼロなのだが・・・
「協調」の名のもとに、世界に貢献する(表向き)
自国の民の窮状を省みず、外向きのいい面をする。
はたしてそれが政治なのだろうか?
あのムヒカ氏の国会での演説が蘇る。
自国さえ良ければ・・・という意味ではなくて
自国の民に最低限でも、安心、安定の生活の策を施して
・・・でなければ、主客転倒も甚だしい。
皆が貧しいのなら、皆が耐えて、助け合って、分かち合って
生きて行ける。
自分さえ、自分たちさえ良ければの人たちが蔓延すれば
この国は国として成り立たないし、世界に恥ずかしい。
「雰囲気だけで生きていては、必ずしっぺ返しが来る」
スマホを初中後、覗き、さわっている人が、私には、その雰囲気から
離れるのが怖いだけのように思える。
伊集院 静
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自分の希望、自分の声・・・確立しなさい
スマホ操作に長けていることが、己の自慢とは情けない
見極めよ、事の真偽、裏表