森信三先生の曰く「相対観」を脱する・・・というのは、
いざ実行となると、様々な障壁が立ちはだかる。
膨大な情報量もそうだが、何より人との接点が数々の摩擦を生む。
座禅ではないが、いわゆる世間と隔絶した世界に己を置くことが難しい。
全てを雑音とは言わないが、耳栓でもしない限り、
無制限に入り込んで来るのが情報というものだ。
そんな中ででも、取捨選択を的確に行い、
切るべきものはバッサリとやるのが大切なのだろう。
居直りではなくて、唯我独尊の気概と呼ぶべきか。
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