背景の記憶(313)

 そこに建物としての「家」は存在したが、肝腎の「家庭」がなかった。

母親の存在が家族から欠落するということは、この世で太陽が失くなることに等しい。

つまり、お母さんは家の太陽というわけだ。

 継母には可哀想な言葉かもしれないが、人工太陽では心の闇は照らせないし、心

中の氷は、ちょっとやそっとでは溶かすことはできない。まだ小さかった僕は、思

春期の兄や姉ほどの抵抗感は無かったが、それでも義理の弟が生まれてからと言う

ものは、兄姉に倍して言い知れぬ暗闇を押し付けられた。
 


2.24.2.22-3.jpg

posted by わたなべあきお | comments (0) | trackbacks (0)

コメント

コメントフォーム

トラックバック


▲page top