国民の代弁者たるべき代議士が、かけ離れた世界の人となり、言い訳と詭弁を
繰り返す。「井の中の蛙」じゃないけれど、「永田町の蛙」か?先生も先生だが
選んだ人も人、これがほんとの恥知らず。
世界とても同じこと。主語を置き換えるだけで、文章が成り立つ。おいてけぼりは
いつも国民、市民。言う側も、それだけ言うなら、お前がやってみろ!口だけなら
誰でも言うさ。
心も体も、山中深く入り込むか。
「善因善果、悪因悪果」と言うが、さっきコレをしたからすぐに結果が出るという
ことばかりではない。何十年の時を経て、出てくる答えもあるわけで・・・。
しかし悲しいかな、そうした時の流れは、「因」なるものを忘れさすことも多々
あるわけで・・・。
さらに怖いことには、何十年も経って出てきた答えの贖罪を試みようとしても、
当の本人が呆けてしまったのでは、それも叶わないわけで・・・。こればっかりは
代行というわけにもいかない。
善行と悪行・・・これは足し算、引き算が通用しない厳格な世界だ。「これだけ
悪いこともしたけど、これだけ善いこともしたのだから引いてくれ」が通用しない
世界だ。善悪ともにやったことはやったこととして、そのまま厳然と残る。