嘘偽りなく言えば、僕は欲しいものは無いんだ。
一つだけ言わせてもらえるなら、「母のぬくもり」と答えたい。
二十歳のころ、叔父に言われたっけ・・・
「おまえは、世捨て人みたいな奴だな」
そうさ、その通りさ・・・反論もせずただ笑っていただけ。
僕は仮の世に生きて、仮の宿で眠っているのさ。
心惹かれるひとに出会うと・・・
この人は母の生まれ変わりじゃないのか?
と真剣に思ってしまう僕なんだ。
古風に思えるが、メモ帳と鉛筆は貴重な携帯品だ。
車を運転している時など、ふと僕の頭をかすめる思いがある。
それが車の身に伝える振動のリズムにのって、だんだん韻律を帯びた表現に
成形してくると、無言の言葉として、口の中に繰り返される。そのうちに
それが独立して僕から離れ去ろうとする。その時だ、僕はメモ帳を取り出して
漸く読み取れるほどの字で書き留める。それが習慣となる。そして夜、
それらがこの場で文字化され、息吹を吹き込まれる。
細やかだが、貴重な自慰行為だ。
誰とは言わず、それぞれの人生に「時代性」は欠かせない。
こんな時代だから…とか,あんな時代であったなら…とか、誰しも思うところだろ
う。よく、「大正時代は良かった!」という話は聞く。昭和の戦後生まれの僕でさ
え、大正ロマンとか聞き覚えがある。明治の人は気骨があったとか、耳にするけれ
ども、昭和と言えば、六十年以上もあったわけだから、戦前、戦中、戦後という区
分けをされるのも必然的なことだろう。
自分の世代以外だと平成、令和となるととんと時代感覚は浮かび上がって来な
い。リアルというのは振り返る余裕を抹殺してしまうのだろうか。
著名人が消えてゆく。名もなき人たちも消えてゆく。
生あるものは、必ず死ぬ。それを言い聞かせ、言い聞かせしても、
どこかで自分はまだ死なないと思っている。