久しぶりの飲み会の二次会で、これまた久しぶりにマイクを握った
不思議なもので、歳と共に選曲も移り変わる
聴かせるというよりは・・・
その歌詞のなかに入り込んでゆくような
忘我の自分がいる
♪あなたの細い手の逆さ時計
あなたの肩までの夏の服
あなたのせつなげな眉の線
あなたの舌足らずな言葉たち
永遠のまごころをあなたに贈りたい
あなたが伏せ目がちに微笑んでくれれば
永遠のまごころをあなたに贈りたい
まるで「ふるい」にかけられるように、人間も残るべき人が残ってくる。
それは単に僕自身のあるいは対象者の好みとも関係性があるのだろうけれど
僕はもっと奥深い部分での<接点>が「ふるい」の網の目を決定付けていると
思う。
僕的には、僕の持つ網目は何でも留まると認識しているのだが、他人様に言わせ
れば、どうも逆に大方が透かされてしまうようだ。
それを良しとするか否かは、意見の分かれるところだが、もうこの年まで来たら
今更その網目を変更のしようがない。
逆説的に言えば、僕自身にしたって、他人様の網の目をいとも簡単に透かされて
いるのだから。
それはどんな場所であれ、フォロアー数や(いいね)の数に一喜一憂するのに
似ている。数の問題ではなくて個々の質の問題だろうと言いたい。
我が家の玄関横の小さなガーデンの植物たちへの水やりが、
僕の役目の一つなのだが、あまりの酷暑続きなので、
早朝の日陰時間にすることにしている。
ある植物学者が言っていた…「雑草という名の植物はない!」と。
そう言われてみると、「この雑草め!」と容易く引っこ抜くわけには
いかないような気持ちになる。
そもそも僕自身、とれが雑草なのかも定かではないので、
つい躊躇してしまう自分がいる。
実際、しかるべき時が来たら可憐な花を咲かせたのを見て感動した
経験があるので、そう簡単には引っこ抜けなくなってきた自分だ。
家内は見分けがつくようなので、いとも簡単にヒョイヒョイと
抜き取って行くが…。
憐憫の情とでも言おうか、ちょっと可哀想な気持ちになってしまう。
稲や野菜たちの邪魔物でもないんだから、共存させてあげれば…
なんて思ってしまう。
若い頃なら、年齢が一回りも違えば、大人と子供の感覚だが、
歳を重ねれば、その年齢感覚はどんどんと縮まり、意識することすら
なくなってしまう。不思議なものだ。
それでも相対的な固定観念は残っているもので、実の娘のような人から
ドキッとするような言葉を聞くと、それに驚く自分に驚いてしまう。
そうか・・・感覚的に受ける年齢と実年齢とは、随分と違うんだと
いうことを思い知らされる。
「あなたは、言われるほどの年齢は感じませんよ」
お世辞なのか、営業言葉なのか・・・
グラスを口に運びながら、どことなくにやけた自分を恥じる。
僕の「この部屋」は、いわばサテライトスタジオのようなものだ。
通りすがりの人が、ちょっと立ち止まって話を聞いたり、
「何やってんだろう?」とのぞき見したり、そんな場所だ。
でも人通りの多い表通りではないから、通りすがる人の数は知れている。
自分としては、そんな適当バランスのこの場所が落ち着くし好きなのだ。
でも時々、内側から外を見ていて、ハッとする人を見かけるときがある。
そんな時は、とても臆病者の僕だけど、横のドアを開けて通りに飛び出し
その人に声をかけてみる。
これはとても勇気の要る行為だが、僕はインスピレーションを大事にしたいので
思い切って声をかけてみる。
これまでの二十数年間で片手ほどの数にしかならないが、それが「感性」であり
フィーリングであり、そしてそのマッチングなのだ。
今日も、明日も、明後日も・・・
ずっとずっと・・・
毎日が「お盆」のように
毎日が「お彼岸」のように
まさしく<亡霊弔いを待つ>
※迷惑、いたずらコメント防止のため・・・
今日は終戦記念日。
僕の叔父(母の弟)は、大学生の時、特攻隊に志願し
昭和20年の4月7日に出撃、沖縄沖で戦死した。
その四か月後が終戦だから、遺族の思いは複雑極まりない。
美声の持ち主で、歌がとても上手だったらしい。
台湾で終戦を迎えた弟の叔父が、本を出版した。
五、六年をかけた労作だ。
その叔父ももうこの世にいない。