一般論は別にして・・・ 感動する一人称がある。 それは「自分」 故「高倉健」に象徴されるように(役の上でのイメージかもしれないが) 「自分は、○○であります」が 僕的にはかっこよく聞こえる。 律義さ、生真面目さ、根性の座った・・・ そんな印象を受ける。 では、なぜここで僕は「僕」を遣っているのか? 其処が「じぶん」探求の根源的なものなのだ。
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