人生最大の屈辱と言えば、もう三十数年前の話だが・・・
生後間もなく娘が入院した時、義母に「うちの家系にそんなのはおらん!」と言い
放たれたことだろう。
車のハンドルを握りながら、涙で前が見えなくなってしまった・・・。
僕にはまったく実感を伴わないことだらけだった。何一つ・・・言葉としても体の温もりとしても、母を感じる材料は、僕の中には残されていなかった。あるのは兄の語った二人のある場面や、父の書き残した言葉から想像することだけだ。
「よちよち歩きのおまえを、坂の上で待ち構えて、両手を大きく開いて迎え入れる母の姿は、ほかの兄姉には見せない、何とも言えない愛情が溢れていたよ。羨ましいくらいだったさ・・・」
「三つ子の魂なんとやらが本当なら、せめてこの瞬間をこの子の脳裏に焼き付けておこう・・・」
それらの場面は、映画のシナリオのように鮮やかに蘇ってはくるけど、そこには悲しいかな本物の温もりや感慨が沸いてはこない。小説の中の主人公にわが身を置き換えるようにしか・・・。