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背景の記憶(222)

 僕にはまったく実感を伴わないことだらけだった。何一つ・・・言葉としても体の温もりとしても、母を感じる材料は、僕の中には残されていなかった。あるのは兄の語った二人のある場面や、父の書き残した言葉から想像することだけだ。

 「よちよち歩きのおまえを、坂の上で待ち構えて、両手を大きく開いて迎え入れる母の姿は、ほかの兄姉には見せない、何とも言えない愛情が溢れていたよ。羨ましいくらいだったさ・・・」

 「三つ子の魂なんとやらが本当なら、せめてこの瞬間をこの子の脳裏に焼き付けておこう・・・」

 それらの場面は、映画のシナリオのように鮮やかに蘇ってはくるけど、そこには悲しいかな本物の温もりや感慨が沸いてはこない。小説の中の主人公にわが身を置き換えるようにしか・・・。


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挫折と再起

 だからルネサンス以後現代にいたるまで、近代、現代の文学の共通した主題の根底は個人と社会との摩擦、相克に他ならない。そして個人としての感性、理念を含めて個人にとって大切な自我は往々他者が形成する社会の規範に制約され抑圧もされる。それはある意味で自我の挫折だが、それで挫けてしまったら人生そのものの敗北で、敗北はしてもそれで絶対に敗北してしまってはならないんだ。


             挫折と再起「男の粋な生き方」 石原慎太郎

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