世の中が様々なハラスメントに対して、NO!の声を上げ始めたことは認める
が、悲しいかな大方は、何か事が起こってしまってからの話しであり、具体的事件
になる前に、つまり事件化を未然に防ぐ段階での行動が大切ではなかろうか。
しかしながら、当事者的立場の者としては、非常に勇気の要る話であって、
極端な言い方をすれば、赤穂浪士的心境とでも言おうか、<刺し違え>覚悟と
言ってもいいくらいの忍耐と決断が求められる。
僕は、ささやかながらその行動を求められる立場にある。僕が決行しなければ
他の誰も出来ないし、僕が躊躇すればするほど被害者は増大し、最悪のケースを
招かないとも限らない。超現実的言葉を用いれば、警察沙汰になる前に動くことが
求められているのだ。
世の加害者は平然と言ってのける・・・「これは厳しい躾の一環だ!」
「これは愛の鞭だ!」・・その偏った思考に立ち向かうのは容易なことではない。
でも一方で、事件化されてしまっては元も子もないので、やはり自分が如何に
動くかと言う処に戻ってしまうわけだ。

マグマが溜まりに溜まって、爆発寸前なんだけど、
妙なもんで、どっかにエネルギーの抜け穴があって
そこに流れ込んだものだから、爆発は回避されたわけ・・・。
その事には、自分の中でも賛否両論あるんだけど
大人の流儀というか、俺も歳をとったものだといううか
大きな流れには身を任す的な自分がいる。
人の噂に一々反応してたら、幾つからだ有っても足らないけど
何て言うんだろう・・・
どこか・・・「糞喰らえ!」的な自分が居る。
大人社会は、何でもかんでも口にするわけではないし
むしろ当人のいないところで噂もし、貶しもするわけで・・・
しかし、いつものことながら・・・
言ってしまった後の、あの空虚感ったらありゃしない。
でも逆に、言わなかったときの消化不良感を想像した時
ああやはり吐き出しておいて良かったと思う。
それにしても、いわゆる「名聞き役」がいなくなったものだな。
僕はその存在足り得ると思ってはいるのだが・・・。
