今で言えば、ツイッターのようなものかもしれなかった。文字通りの、最晩年の父のつぶやき。誰のも明かすつもりのない胸の内を、日夜夜毎、綴っただけの自慰ようなしろもの。死にかけた老人のロマンティシズム、センチメンタリズム、愚痴、後悔、不安、諦めがこれでもかと詰め込まれた、ただの日記、がらくたのような散文・・・。
「沈黙のひと」 小池真理子
この中に・・・
その介護付き有料老人ホームは、松江市の郊外にあった。年に一度か二度、帰省した時には、必ず立ち寄ることにしていた。
そこには、叔父が入所していた。母方で生きているたった一人のひとであり、幼くして母と死別した僕たち甥や姪の親代わりのような人だった。戦争の傷のせいで、自分には子供が無かったことも原因していたかもしれない。
叔父は、父や他の叔父さんたちと同じく教職に就いていた。そしてやはり校長としてその職を全うした人だった。祖母がそうだったせいなのか、叔父は大柄で恰幅のいい人だった。誰に似たのかいつも辛口トークで、僕たちを怯えさせまた笑わせた。
家族五人で訪問した時、叔父は殊更元気ありげに振る舞ってくれたが、何度も何度も「アンタ、名前は?」と息子たちに問いかけた。かなり認知症が進んでいるようだった。案内のスタッフの女性が、「先生をしてらしたせいか、廊下ですれ違うと『おはよう!勉強せ〜よ!』っていつも仰るんですよ。いつまでも校長先生なのね」と笑いながら話してくれた。
帰る時間になると、入浴を済ませた叔父は、テレビのある大きな休憩室で、車椅子に座ってぼんやりとテレビを観ていた。ただテレビの方を向いているというだけで、その中身を理解しているようには感じられなかった。
僕が近寄り、肩を叩いて「おじさん、じゃあ行くからね」と言うと、叔父は淋しげに振り向いて「ああ・・・」と言った。終ぞ僕が何ものなのかは判らないままのようだった。
ドアのところで、もう一度叔父の方に目を向けると、右手を上げてサヨナラをしているように見えた。この一瞬だけ、叔父に記憶が蘇って、「あきお・・・ありがとう・・・」とホントにサヨナラをしてくれているように思えて、僕は涙を堪えらえなくなってしまった。
これは、僕の勝手な持論かもしれないけど
きみが失ったと思っているそのことは
実は、元々離れて行くべきものだった・・・と言えるのではないでしょうか
事の原因を、自分だけに向けて考えるのはお止しなさい
自覚、無自覚のどちらであれ
為したことは、必ず己に還ってくるわけですから・・・
本人(相手)が、どんなに正当化しようが誤魔化そうが
一番よく知っているのは本人自身なんですから・・・
ただ、この種の問題は十対零ということはあり得ません
認めたくないでしょうが、必ず何某かの非があなたにもあるのです
「善因善果、悪因悪果」とはよく言ったものですね
すぐに見せられるのは幸せと言えるかもしれません
とんでもなく後で、忘れてしまったようなときに
これがあの時の答え(報い)ですと突き付けられるのは怖い話です
対等に立ち向かうことは、相手と同じ次元に落ちるとよいうことも言えるのですよ
偉そうなことを書き並べてしまいました
読んだら一度忘れてみてください
そして、落ち着いたときに、もう一度読んでみてください
<人間の味>というものは、年を重ねる毎に増して行く。
僕が当時の彼女に誘われて観に行った映画が「卒業」だった。
当時、僕はダスティン・ホフマン演じる男と同世代だった。
映画に誘った彼女は、僕より5才年上だったわけだが、その中身に自らの想いを代弁させたのかもしれない。でも、これは随分と時を経てから思い至ったことだ。
今も思い出す残像としては、黒い下着や、教会の窓を叩いて彼女の名を叫ぶ姿や、S&Gの音楽だ。
その作品を介して、僕に彼女がどこまで語ろうとしたのかは、後々になって気付いたことである。
今日、はるか時を数えて、ダスティン・ホフマン(&エマ・トンプソン)主演の映画を観た。
数々の経験を経た人間でなければ、語れない言葉がある。仕草や表情もある。
ありのままの自分を、そのまま曝け出せる相手は、そうざらにはいない。
ましてや、ともにそれを認め合える相手ともなれば・・・。
どんなに挫折を経験しようが、年を重ねていようが、そういう対象者に巡り会えた人は、世界一の幸せ者と言っていいだろう。
二重スパイ
話は前後するが、結果として僕は、二重スパイ的存在になってしまったと言える。スパイは言い過ぎにしても、両陣営(?)と均等に接点を持ちうる唯一の存在となってしまった・・・というわけだ。
人間の心理とは、実に興味深いものだ。事の真っただ中にいる本人たちですら、僕の客観的視点や考え方に左右されてしまうわけだから・・・。方や〜恨み、妬み、嫌悪・・・、方や〜略奪、征服、独り占め・・・。
しかし、事は意外にあっさりと終焉に向かうこととなる。ほぼ同じころに、両方共が妊娠したわけである。
なにやってんだ!?
独 立
SMAPとはとんでもなく次元の違う話だが、僕にも独立劇はあったわけで・・・
社員を代表しての会社側との交渉は、何とも情けない「ワシが給料払っとるんゃ!」の社長の暴言で the end となり、僕は退職を決意した。同調してくれていた仲間五人の送別会もやり、僕は律儀にも三か月前に退職を願い出したわけだが、その三か月がなんとも滑稽極まりないものとなってしまった。
当時は営業に従事していた僕に、言い渡されたことは・・・�|甘�得意先への挨拶は行かなくてもよい(替わりの者が担当する) ��電話も出なくてよい・・・で僕は出社してもただ席に座っているだけの、軟禁状態のようになった。
ひたすら僕は読書に明け暮れる会社生活が始まったわけだ。そんな折、ある日の朝とんでもない事態が発生した。事務員が僕のところに来て「お客様です。ちょっと怖そうな人なんです。喫茶店で待ってるからって・・・」
誰なんだろうと不審に思いながら行ってみると、その男から金文字の名刺を差し出された。これで僕は納得した。「分かってるやろうな」彼は上目づかいにそう言った。「連帯保証人、上の二人は逃げておらん・・・あんたが最後や」この会社への紹介者の女社長の仕事が行き詰まり夜逃げしてしまったわけだ。
世間知らずと言うよりも、様々な事情の中で押してしまったハンコであったが、まさかこんな日が来るとは思いもしなかった。僕は「分かりました。明日もう一度此処へ来てもらえますか」相手は一瞬「えっ・・・」という言葉にならない声を発して「あ、あ〜」と言って帰って行った。
会社に引き返し、僕は社長に詳細は言わずに退職金の前借を願い出た。(当然、社長は知っていたわけだが、僕がそこまで絡んでいるとは思わなかったのだろう)
翌日、喫茶店でお金の入った封筒を差し出すと、彼は札の束を確認した。そして「おまえ、ええやっちゃなあ・・・これ・・・」と言って、札束の中から数枚の一万円札を抜き取り僕に差し出した。「ほなな・・・」彼は勝ち誇ったように出て行った。喫茶店のママが訝しげに僕を見ていた。
帰社すると・・・
どれほど謗られようが、悪く思われようが、やり場のなくなった悲しみをぶつけてしまった若い女からの改まった誘いを完全に無視しようとして、できなくなり、謝罪のメールをよこしたのだろう、と思った。それが後藤信彦の愚かなまでの誠実さだった。
ニセアカシアの濡れた木陰に佇んだまま、知沙はその場で返信を打った。
『お返事がなかったので、お忙しいのだろうと思い、今夜、私もあの店には行きませんでした。勝手に決めて約束してしまったりして、こちらこそ申し訳ありません。後藤さんの悲しみが癒え、お元気になられることを心からお祈りしています』
メールの送信ボタンを押した直後、ニセアカシアの葉先にたまった水滴がぽとりと知沙の額に落ち、流れ、涙のように頬を伝った。
「存在の美しい哀しみ」 小池真理子

酷似した・・・