その介護付き有料老人ホームは、松江市の郊外にあった。年に一度か二度、帰省した時には、必ず立ち寄ることにしていた。
そこには、叔父が入所していた。母方で生きているたった一人のひとであり、幼くして母と死別した僕たち甥や姪の親代わりのような人だった。戦争の傷のせいで、自分には子供が無かったことも原因していたかもしれない。
叔父は、父や他の叔父さんたちと同じく教職に就いていた。そしてやはり校長としてその職を全うした人だった。祖母がそうだったせいなのか、叔父は大柄で恰幅のいい人だった。誰に似たのかいつも辛口トークで、僕たちを怯えさせまた笑わせた。
家族五人で訪問した時、叔父は殊更元気ありげに振る舞ってくれたが、何度も何度も「アンタ、名前は?」と息子たちに問いかけた。かなり認知症が進んでいるようだった。案内のスタッフの女性が、「先生をしてらしたせいか、廊下ですれ違うと『おはよう!勉強せ〜よ!』っていつも仰るんですよ。いつまでも校長先生なのね」と笑いながら話してくれた。
帰る時間になると、入浴を済ませた叔父は、テレビのある大きな休憩室で、車椅子に座ってぼんやりとテレビを観ていた。ただテレビの方を向いているというだけで、その中身を理解しているようには感じられなかった。
僕が近寄り、肩を叩いて「おじさん、じゃあ行くからね」と言うと、叔父は淋しげに振り向いて「ああ・・・」と言った。終ぞ僕が何ものなのかは判らないままのようだった。
ドアのところで、もう一度叔父の方に目を向けると、右手を上げてサヨナラをしているように見えた。この一瞬だけ、叔父に記憶が蘇って、「あきお・・・ありがとう・・・」とホントにサヨナラをしてくれているように思えて、僕は涙を堪えらえなくなってしまった。