新しい就職先では、僕は、人との会話を避けて、敢て技術的な現場仕事を志願した。見た目は営業向きであったのは確かなのだが、しばらく作り笑顔から離れたかった。またその方が、あの隠岐の島時代の現場仕事の経験が生きるのではないかと思ったのだ。
朝礼が終わると、すぐに現場仕事に出かけ、夕方帰社すると日報を書いて退社という単調且つ順調な日々が続いた(ある意味)。半年が経過したころ、僕のデスクの隣の事務員の悦子さん(出た!三人目の悦子さん)から、事務連絡のメモの下に個人的内容のメモが置いてあった。
彼女は高卒で、メーカーの伯父さんの紹介で鹿児島から出てきてここへ就職したとのことだった。僕から見ればまだまだ高校生と言うような雰囲気で、流行りのミニスカートの可愛い妹と言うような感じだった。
メモには「相談に乗って欲しい」とあって、喫茶店と時間が書いてあった。向かい合って話を聞くと、彼女は社長夫婦の建物で間借りしているとのことで、それがあまりに窮屈なので、アパートに引っ越ししたいので手伝って欲しい・・・とのことだった。僕は二つ返事でOKをした。可愛い妹のためなら・・・と言う感じで。
二週間後の日曜日、引っ越しは半日で終わった。そして何日か経って、またしても個人的メモが置かれていた。「こないだはありがとう。お礼がしたいので夕食を食べに来てください。料理がんばります。」と記されていた。
指定された日に部屋へ行くと、見知らぬ女性がニコニコしながら部屋を出て行った。「向かいの部屋のお姉さんなの。ちょっと料理手伝ってもらちゃった」と笑顔で話した。ビールで乾杯して、頑張った手料理をごちそうになった。九州女はしっかり者というけれど、本当にそうだなと思った。制服姿の可愛いエッチャンから大人びた悦子さんにイメージが変わって行った。アルコールのせいかな?と思っていたら、彼女が呟いた・・・
「横顔が好きっちゃね〜」鹿児島弁なのか、思わぬ言葉に??していると、彼女は部屋の電灯の紐を引っ張った。薄暗い部屋の中で横になって見つめ合いながら彼女が言った。「11月○○日が私の誕生日、その日に外で逢ってくれる?」と言った。彼女は答えはOKと決め込んで、電灯の紐を引っ張った。
ここぞという場面では・・・
彼女へのお礼をふくめて、「お茶でも・・・」と思っていたが、僕自身も夜は忙しく、彼女も駅近くの洋裁学校へ通っていたので、なかなかそのチャンスはめぐってはこなかった。そうしたある日、またもや事件?は起こってしまった。
午前中の仕事を終わって昼食をしているときに、事務員さんが慌てた様子で僕を呼びに来た。「車が・・・車が・・・!」何事かと訝りながら行ってみると、僕の運転していた車が、道路に駐車してあった乗用車に接触した状態で止まっていたのだ。
事情を聴くと、僕の運転していた車のサイドブレーキが甘く、緩やかな勾配をトロトロと進んで、前に停められた乗用車に接触してしまったらしい。しかも運悪いことに、その車は会社のゴミ収集に来てくれている業者さんの乗用車で、その日は集金日だったため、奥さんを横に乗せて高級車でお出ましだったというわけだ。
大急ぎで車をバックさせ、その箇所を見ると、ちょっと凹んだ傷跡が見て取れた。そこへその所有者さんが事務所から出てきて、「こりゃあ、ドア替えてもらわなアカンな」と大袈裟な口調で言った。僕は返す言葉もなく「すみませんでした。弁償しますので、お許しください!」と言った。
今回は前の事故と違い、会社が肩代わりしてくれるようなものではないことは、自分でも理解していた。心の中では「集金日だからと言って、おめかしして夫婦で高級車で来るかね?」と呟く自分が居た。でもそれは言葉にできない。
ああ、終わったな・・・そんな感じだった。一か月後、修理代の請求が来た。五十万円を超えていた。又しても心の中で「保険で直しているんだろうに・・・」という自分が居たが、これまた口外は出来ない。有り金をはたいて支払いを済ませた。
しばらくは会話もタイプも行く気が失せてしまっていた。そしてアメリカ行きを再構築する気力は失せて、僕は諦めることにした。具体的な目標を失った勉強が空しく思えてきた。そしてそのためのバイトさえも無意味に思えてきた。
そんな落ち込んだ僕を慰め励ましてくれたのは彼女Yさんだった。喫茶店でコーヒーをすすりながら身の上話をする僕が居た。
落ち込んでいる僕を見かねたように、やがて会社から、正社員にならないか?との提案があったが、僕は考えさせてくださいと、やんわりと断った。
英会話とタイプの学校はやめることにした。ステッファニー先生とも、今度こそお別れだ・・・と思った。タイプの先生に説明に行ったとき、思いがけない話を受けた。「私の知人が社員募集をしているんだけど、ワタナベ君やってみない?」と言うわけだ。渡りに船とはこのことで、そろそろ定職につかなければという焦りもあった。僕はもう23歳になろうとしていたのだ。
そしてもう一つ、おぼろげながら、僕は彼女Yさんと正式に付き合いたいという願望が芽生え始めていたのだ。、
いつまでにと決めたわけではなかったけれども、先に行ったY君に、早く追いつかなければならないという無言の圧力を感じていた。少しでも現実味を意識するために、僕はタイピスト学院に入ることにした。アパートから近い京都女子大の近くにその学校はあった。事情を話して半年間の短期集中コースに入れてもらった。
ワープロやパソコンはまだ商品化されていない時代だったから、タイプライターしかなかったのだ。当然のこととはいえ、生徒は僕以外は全員女性だった。40歳くらいの院長先生と、僕よりちょっと年上の助手が院を切り盛りしていた。自宅でも練習できるようにと、TIPPAの商品も買った。カチャ カチャ チ〜ンという響きが心地よかった。
若さに任せて突き進んできた僕だったが、昼夜を通しての過密スケジュールに負けて、身体が悲鳴を上げてしまった。朝、起き上がることが出来ず、熱も出てきたみたいで、僕は寝袋に潜り込んで、犬のようにただひたすら熱の下るのを待った。しかしその意識も朦朧としてきて、結果、三日三晩が過ぎてしまった。
気が付けば、身体は大汗をかいて、下着もなにもべちゃべちゃ状態だった。しかしどうやら病の峠は越えたようであった。身体を拭いて着替え終わったころ、玄関ドアをノックする音が聞こえた。ハテ?とドアを開けると、そこにはバイト先の年配男性と傘を貸してくれた例の女性が立っていた。無断欠勤が続くものだから、何かあったのだろうと、事務長さんに住所を聞いて訪ねてきたということだった。
事情を説明して、明日から行きますと約束した。ドアを閉めかけると、男性が走って戻ってきて「一人じゃマズイと言ううんで付いてきたんだ」と言って立ち去った。何がマズイんだろう?まだ朦朧とした頭で、僕は独り言をつぶやいた。それにしても階段上の部屋で良かったと思った。机代わりの電気炬燵とギターと寝袋だけでは惨めすぎるだろう・・・そんなことを考えながら僕はまた眠りに落ちてしまった。