彼女へのお礼をふくめて、「お茶でも・・・」と思っていたが、僕自身も夜は忙しく、彼女も駅近くの洋裁学校へ通っていたので、なかなかそのチャンスはめぐってはこなかった。そうしたある日、またもや事件?は起こってしまった。
午前中の仕事を終わって昼食をしているときに、事務員さんが慌てた様子で僕を呼びに来た。「車が・・・車が・・・!」何事かと訝りながら行ってみると、僕の運転していた車が、道路に駐車してあった乗用車に接触した状態で止まっていたのだ。
事情を聴くと、僕の運転していた車のサイドブレーキが甘く、緩やかな勾配をトロトロと進んで、前に停められた乗用車に接触してしまったらしい。しかも運悪いことに、その車は会社のゴミ収集に来てくれている業者さんの乗用車で、その日は集金日だったため、奥さんを横に乗せて高級車でお出ましだったというわけだ。
大急ぎで車をバックさせ、その箇所を見ると、ちょっと凹んだ傷跡が見て取れた。そこへその所有者さんが事務所から出てきて、「こりゃあ、ドア替えてもらわなアカンな」と大袈裟な口調で言った。僕は返す言葉もなく「すみませんでした。弁償しますので、お許しください!」と言った。
今回は前の事故と違い、会社が肩代わりしてくれるようなものではないことは、自分でも理解していた。心の中では「集金日だからと言って、おめかしして夫婦で高級車で来るかね?」と呟く自分が居た。でもそれは言葉にできない。
ああ、終わったな・・・そんな感じだった。一か月後、修理代の請求が来た。五十万円を超えていた。又しても心の中で「保険で直しているんだろうに・・・」という自分が居たが、これまた口外は出来ない。有り金をはたいて支払いを済ませた。
しばらくは会話もタイプも行く気が失せてしまっていた。そしてアメリカ行きを再構築する気力は失せて、僕は諦めることにした。具体的な目標を失った勉強が空しく思えてきた。そしてそのためのバイトさえも無意味に思えてきた。
そんな落ち込んだ僕を慰め励ましてくれたのは彼女Yさんだった。喫茶店でコーヒーをすすりながら身の上話をする僕が居た。
落ち込んでいる僕を見かねたように、やがて会社から、正社員にならないか?との提案があったが、僕は考えさせてくださいと、やんわりと断った。
英会話とタイプの学校はやめることにした。ステッファニー先生とも、今度こそお別れだ・・・と思った。タイプの先生に説明に行ったとき、思いがけない話を受けた。「私の知人が社員募集をしているんだけど、ワタナベ君やってみない?」と言うわけだ。渡りに船とはこのことで、そろそろ定職につかなければという焦りもあった。僕はもう23歳になろうとしていたのだ。
そしてもう一つ、おぼろげながら、僕は彼女Yさんと正式に付き合いたいという願望が芽生え始めていたのだ。、