「あの時、僕は死んでたなぁ…」と、
思い返すことが一つどころか片手の指の数ほどある。
小学校入学前の頃、釣りに行って海に落ちた。
必死に海中で踠いていていたら、友が差し出した釣竿が見えた。
あれ以来、僕は泳げなくなった。プールでも足が届かないと分かると溺れかけた。
二回目も海だった。父が僕が泳げるようにと、いきなり海へ放り投げた。
しかし前例通り、又してもホントに溺れたので、父は必死に助けあげた。
正真正銘のトラウマだ。
ボーイスカウトの訓育中、ゲームの中で目隠しをした鬼役に僕は掴まえられて、
放り投げられて、しこたま後頭部を地面で強打した。
三日三晩、昏睡状態だったらしい……。
岡山県の田舎道で、僕はオートバイの後部座席に乗せられていた。
砂利道のため操作不能になった時、僕は後方に放り出された。
又しても三日三晩、僕は昏睡状態だったらしい……。
葬式に僕は急いでいた。信号が50メートルもなく二つ続いていた。
僕は一つ先の信号しか見ておらず、手前の赤信号を無視状態で突っ込んだ。
強烈なサイドインパクト!助手席に飛ばされ、車はガードレールで際どく止まっていた。
気が付いたら救急病院にいた。
警察官が僕の名前を大声で呼ぶのが聞こえた。
なぜか廊下に立っていた僕が「ハイ」と手を挙げたら、
「あの車の状態だと、死んだと思ったよ」としげしげと僕を見つめていた。
しかし、家に帰ってから一週間、僕は全く身動きできなかった。
バブル最盛期のころ、仕事の忙しさに比例するかのように、全国を旅行して
廻った。九州一周の旅行の最後が鹿児島だった。無事帰宅しての仕事中、
「病院へすぐ行け」との連絡。行ってみると「すぐ入院してください、
病院は手配済みです」と言われた。次のアメリカ旅行のための血液検査を
したのを思い出した。肝臓関係の数値が異常すぎて「入院しないと死にますよ!」
と言われた。どうも生牡蠣に当たったらしかった。しかし、一人商売の身、
3ヶ月の入院は廃業を意味していた。何とか頼み込んで通院による点滴治療を受けた。
もちろん現場へは行けず、電話とファックスで友人の助けを借りて、3ヶ月をこなした。
自身の記憶にない死にかけがある。まだ二才未満の時、食べ物を全く受け付けなく
なったらしい。父は兄姉と同様に死を覚悟したらしい。しかし、誰かの見舞い品の
果物を急に猛烈に口にしたらしい。それで一命を取り留めた。
そんなこんなで、今日まで生き延びている自分だが、最近思うことは、
自分は【生かされている】ということだ。あの時、あの時も、
死んでもおかしくなかった身だ。そう思えば、如何に生きるべきかが
自ずと分かろうというものだ。
しっかりしろよ!
天に感謝しろよ!