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背景の記憶(197)

 祖母や祖父ががいた。父もいた。だが、母だけがいなかった。
 母のようにふるまっていた人は確かに存在していた。その人は、限りなく本物に近い母として彼を扱い、愛し、抱きしめてくれた。だが、それが本当の母ではなかったことを自分はおそらく、乳児のころから気づいていたのかもしれない、と彼は思う。
 いい子だ、と周囲から言われることは日常茶飯だった。そして、そう言われる子供になろうとする努力を惜しんだことはなかった。
 たいていのことは我慢してきた。わがままを言ったり、利己的になったり、人を傷つけたり、感情の起伏を人に見せたり、いたずらに逆らったりせず、できるだけにこやかに、温厚に、他者とぶつからないようにして生きてきた。
 すくすくと健やかに育った、とみんなが思っている。こんな扱いやすい、性格のいい子はいなかった、と誰もに思われている。父も、祖父母も、育ての母も、・・


           「存在の美しい哀しみ」 小池真理子

小説の中に・・・

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posted by わたなべあきお | - | -

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