祖母や祖父ががいた。父もいた。だが、母だけがいなかった。
母のようにふるまっていた人は確かに存在していた。その人は、限りなく本物に近い母として彼を扱い、愛し、抱きしめてくれた。だが、それが本当の母ではなかったことを自分はおそらく、乳児のころから気づいていたのかもしれない、と彼は思う。
いい子だ、と周囲から言われることは日常茶飯だった。そして、そう言われる子供になろうとする努力を惜しんだことはなかった。
たいていのことは我慢してきた。わがままを言ったり、利己的になったり、人を傷つけたり、感情の起伏を人に見せたり、いたずらに逆らったりせず、できるだけにこやかに、温厚に、他者とぶつからないようにして生きてきた。
すくすくと健やかに育った、とみんなが思っている。こんな扱いやすい、性格のいい子はいなかった、と誰もに思われている。父も、祖父母も、育ての母も、・・
「存在の美しい哀しみ」 小池真理子
小説の中に・・・
鏡のように
自分を見つける。