一昔前、「一億総中流意識」という言葉が流行ったが、
今は何て言うんだろう?
ごく一握りの上流意識者のための日本国なんだろうか?
逆ではないか!大多数の民のための政治ではないのか!
世界にいい顔をする、アメリカにいい顔をする…
肝心のお膝元は物価高や諸々の難題に呻吟している。
主客転倒とはこのことだ。
アメリカ的やり方が絶対的に良いとは思わないが、
政権が変われば役人も総入れ替え的な発想力でもない限り、
ダイナミックな変革は望めそうにない。
各党が狭い党利党略に走っているからには、
どこがやったって大して変わらないということになってしまう。
その意味では、大統領制もありだなとも思ってしまう。
救世主的な人物は現れないものだろうか?
若い頃、「小さく固まんなよ!」
「無茶はいけないけど、ちょっとは無理しないと、事は進まないぜ!」
…と誰かに言われたことを思い出す自分がいる。

それは6年前。私が初めて候補者というものになった時のこと。
朝の駅頭には複数の政党の人たちが立っていた。たくさんの通勤客が行き交う
中に毎回通る外国の方がいた。肌の色は黒。何ヶ月かすると、私はその男性と
仲良くなっていた。忙しい朝だけど、必ず短くても話をしてくれる。「僕は
建設工事現場で働いている。体はキツイけど、仕事はたくさんある」と。
日本語はペラペラだ。不思議なことに、他の候補者は彼に挨拶もしなければ
チラシすら渡さない。外国人は票にならないと思っているのか、無意識に
スルーするのか、それはわからない。
選挙本番になった朝、彼が私に言った。「僕の家族は日本人の妻や子供を
入れて6人。全員選挙権を持っている。僕以外は投票できる。紫野さんに
入れるよう頼んで、みんなOKとなったからね、5人入れるよ、だから
勝って!」涙が出た。そして結果が出た翌朝、「良かった!みんなで応援
してたんだよ!」と大喜びしてハグしてくれた。何がきっかけになるか
わからない。けれど、人と人とは繋がり合える。選挙権があってもなくても、
そんなの関係ない。この国はたくさんの人間がいて成り立っているのだ。
選挙の度に思い出すエピソードだ。
三鷹市市議会議員 紫野あすか

この街に住んで、もう半世紀以上が過ぎてしまった。
子供たち、孫たちにとっては、この街が故郷だ。
僕には生まれ故郷や育った街の思い出はあるが、さすがに五十年以上も
住み続けると、この街への愛着はこびりついてしまっている。
いろんなことがあった・・・
いろんなひとと出会った・・・
いろんな人と別れた・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪さりげないやさしさが
僕の胸をしめつけた
この街で僕を愛し
この街で僕を憎み
この街で 夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて 微笑みあおう
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♪街の角 喫茶店
古い美術館
山かげの細い道
初恋の涙
この街が好きさ
君がいるから
この街が好きさ
君の微笑みあるから

何気ない言葉や仕草の中にこそ、その人の本質がある。
意識すれば言葉を選ぶし、書き物であれば読み返しもする。
裏を返せば、思ってもいないことは言葉として出てこないということだ。
まさしく「覆水盆に返らず」
政治家の失言が話題となっているが、これとても同じこと。
失言と言うよりは本心(本音)ということだろう。
ごく身近なところでも、似たようなことが起こっている。
僕の場合、受け身の立場が大半なんだが、「ああ、やはりそういう奴か」
にたどり着く。諫めはしない、そういう奴として見切ることにしている。
自分への言い聞かせとしては、「思いやり」や「心遣い」を言葉に
込めたいと思っている。ごく自然な形で。
